2019/02/17

スティーブ・ジョブズが愛読した禅のおすすめ本「禅マインド ビギナーズ・マインド」



北鎌倉・明月院(臨済宗)
悟りの窓


mira-sannchiさんによる写真ACからの写真 




目次 読了5分


  1. 東洋思想に傾倒していたスティーブ・ジョブズ
  2. アメリカの若者が禅を求めた時代背景
  3. 禅問答のごとく論理を超えた文章
  4. 内容を吟味せずに受け入れることの危険性
  5. 世間は生きている、理屈は死んでいる
  6. 禅の無の中に存在する積極性
  7. 利他の精神へと繋がる執着
  8. 本書の白眉
  9. 先入観として囚われる過去の経験
  10. 仏教思想を日本人が見直すことの意義




1 東洋思想に傾倒していたスティーブ・ジョブズ



アップルの創業者であるスティーブ・ジョブズが東洋思想に傾倒していたことはよく知られています。

曹洞宗の禅僧・乙川弘文氏に師事し、また1970年に出版された一冊の本、


zen mind beginner's mind

禅マインド ビギナーズ・マインド


を愛読したと言われています。

この本は、1959年に日本からサンフランシスコへと渡り、西海岸で禅の教えを広めた曹洞宗の僧・鈴木俊隆(スズキシュンリュウ)氏の語録を集めたものであり、当時アメリカで禅のバイブルとしてベストセラーとなりました。



2 アメリカの若者が禅を求めた時代背景




東洋思想である禅が、反体制志向のビートニクやヒッピーに影響を与えた理由は、自然回帰やドラッグといったキーワードから、薬物によるトリップを仏教の悟りに重ね合わせるといったファッションとしての一面があり、その後も霊的・精神的世界を重視するニューエイジ運動に引き継がれた理由は、当時の時代背景として、 意味の見いだせないベトナム戦争が泥沼化し、多くの未来ある若者が命を落とし、またドラッグが蔓延するなど古き良きアメリカが失われつつあり 、そんな状況で新たな宗教に救いが求められ、座禅という瞑想の手段に心の安らぎを求めたことが一因としてありました。

他の要因として、貴方と私、昼と夜は同じであるといった仏教の一元的な物の見方に対し、二元論的な物の見方をするアメリカ人に物珍しがられた側面もあったでしょう。



3 禅問答のごとく論理を超えた文章




また、まさに禅問答の如く論理を超えた文章が所々に垣間見られ、論理を重視するアメリカ人にとって、東洋の神秘をそこに見たのかもしれません。

では、本文にあるトンチのような文章を抜粋してみます。



迷うがゆえに、あなたの問題が、あなたにとって問題となってしまうのです。自分を失わなければ、いろいろな困難はあっても、問題は一切ありません。問題の真ん中で座ります。あなたが問題の一部であるとき、あるいは問題があなたの一部であるとき、そこに問題はありません。あなたが問題そのものだからです。問題とは、あなた自身です。もし、そうであれば、そこに問題はありません。


本文引用 P123   禅マインド ビギナーズ・マインド (サンガ新書) 


例えばこの文章を精神異常者が述べたとき、誰も相手にしないはずですが、仏教という高度な哲学が絡むと、そこに何らかの意味付けがされ、急に後光を帯びてしまいます。



4 内容を吟味せずに受け入れることの危険性




もちろん、言葉とは誰が言ったかも大事な要素ですが、内容が問われるのは当然であり、このような文章に無条件で感心するのは危険なことです。

これは何も宗教や哲学に限らず、権威が示すよく分からない理屈を、考えもせず受け入れてしまうことは多々あります。

ノーベル経済学賞を獲得したどんな高尚な経済理論も、世界の貧困を救えてはおらず、どんな複雑な金融工学も、リーマンショックを防ぐことができませんでした。



5 世間は生きている、理屈は死んでいる




これらはまさに幕末の幕臣・勝海舟が言った、


「世間は活きている、理屈は死んでいる。」


を示す好例と言えます。

現場を知らない会社組織の本部が、理論や理屈だけを振りかざして上手くいかないことがあるのも同じかもしれません。



6 禅の無の中に存在する積極性




本書は、禅の特徴である無を強調し、執着を解き放つことに重点を置いていますが、禅の創始者である達磨大師(ダルマダイシ)は、悟りを開くため、中国の嵩山少林寺で計9年もの期間、壁に向かって座禅をしていたという伝説があります。

これは俗に言う「面壁九年(メンペキクネン)」ですが、無や執着しないという字面(ジズラ)からは、この事象を理解することはできません。

スティーブ・ジョブズにしても、人よりも執着心があったからこそ、マッキントッシュを産み出し、世に広めることができたのです。

いや、禅の奥深い真理は
理性では分からないのだ、何年も修行した僧が到達した真理がそこには存在し、仏教とは反対概念をも包み込み、煩悩即菩提、生死一如であり、すべては真如という一つの真理に収束されるのだと上段から説かれたら、そうかと納得してしまうかもしれませんが、それは危険なことです。



7 利他の精神へと繋がる執着




そもそも執着しないことを強調すれば、誰かが亡くなっても、誰かが悲しんでも心が動かされないことを意味し、他人への共感を示す慈悲の精神や、他人を救おうとする大乗仏教の利他の精神は失われてしまいます。

例えば我々が、新車を購入するために長年乗り親しんだ車を手放すとき、執着があるからこそ寂しさを感じ、また執着があるからこそ、より感謝の気持ちも湧いてきます。

例えば、長い間足となってくれた愛車をお前などと呼び、


お前とは色々な場所に出かけたよなぁ。事故したこともあったなぁ。あのとき乗せた彼女はいま何しているかなぁ。そういえばあんなこともあったなぁ。今までありがとうな。


といった言葉が出てくるのは、執着があるからです。

つまり禅の無にも、他者へと働きかける積極性が存在しているのです。

要するに私がここで言いたいことは、世の権威として流布する宗教や哲学に関し、考えもせずに無批判に受け入れるべきではないということです。

仏教とは様々な宗派があり、同じ経典でも解釈が違うように、その教えが自分の中に落とし込まれるまでは、全面的に納得すべきではないのです。




8 本書の白眉




その中で私が考える本書の白眉は、次の一文にあります。


感情的には、私たちはたくさんの問題を抱えています。しかし、そうした問題は、実際の問題ではありません。それらの問題は、つくり出されたものです。そうした問題は、私たちの自己中心的な考えや見方によって、問題だと示されているだけなのです。これが問題だと指し示す。すると問題があります。


本文引用 P189  禅マインド ビギナーズ・マインド (サンガ新書) 


モノの見方を変えることの重要性と、「究極のところ、全ての問題は存在しない」、


色即是空(しきそくぜくう)

この世の全ての現象に実体はない


という、大乗仏教の重要な経典である般若心経の有名なテーゼを端的に表した言葉と言えます。

現象界の物質も、悩みも、問題も、そのどれもが仮の姿で実体はなく、すべては空であり無であり、移ろいゆくものである。


著者は、この無は虚無ではないと述べているように、人生のどん詰まりや岐路でこの言葉を受け入れたとき、光を放ってくるはずです。


もし、仕事や私生活で何かの問題を解決しようとしているならば、この色即是空といった言葉は何の意味も持たず、むしろ責任回避に利用される恐れもあるでしょう。


しかし、腹を括るという意味においては有用であり、どんな言葉も教えも、場面場面で積極的に自分や世間に活かしていく必要性を本書から学ぶことができます。




9 先入観として囚われる過去の経験




そして、本書には読者の心を掴んだ一文があります。



Zen Mind, Beginner’s Mind 

It is wisdom which is seeking for wisdom. 


禅心、初心

それは

智慧を求める智慧である






初心者の心には多くの可能性があります。

しかし専門家といわれる人の心には、それはほとんどありません。


In the beginner’s mind there are many possibilities 

but in the expert’s there are few.



本文引用 P22,23  禅マインド ビギナーズ・マインド (サンガ新書) 


恐らく著者のここでの主張は、専門家は過去の経験や知識に囚われてしまう、ということだと思われます。

過去の実績は時として単なる先入観にしかならず、また、過去が積み重ねれば積み重なるほど、過去に頼り、過去に安住してしまうのは真理でしょう。

そして、この言葉をさらに積極的に高めていくならば、どんな分野でも、その道の専門家と言われる人たちが、初めて事に取り組んだ時の素直さと情熱を取り戻したならば、きっとそこに新たな飛躍が起きてくるはずです。

またそれはエキスパートに限ったことではなく、自分はもうある程度のことができると思っている人たちにも、当てはまることでしょう。



10 仏教思想を日本人が見直すことの意義




ということで、ジョブズが愛読した書籍「禅マインド ビギナーズ・マインド」は、所々でトンチのような文章が出てきますが、所々で示唆を与えてくれる、おすすめの本に違いなく、咀嚼して自分の中に落とし込んだ時、大きな威力を発揮することでしょう。

昨今の日本の仏教界は、メディアで取り上げられる一部のお坊さんやお寺以外は、お葬式の時にしか出番がない葬式仏教などと揶揄されたりもしますが、哲学としての仏教は何千年と練磨されてきた英知が込められています。

その仏教や禅の教えを、瞑想、ヨーガ、呼吸法、マインドフルネスなどと共に捉え直そうとする動きが世界で盛んになっているように、土着の宗教として育んできた日本人こそが、今一度この宗教に目を向けるきっかけとして、ジョブズが愛読した「禅マインド ビギナーズ・マインド」に目を通してみるのもいいかもしれません。



紹介引用図書

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