2018/05/27

本物の宗教が人生に必要な理由は、獲得形質が遺伝するという研究結果や、心と身体は密接に繋がっていることなどから導き出せます



根津美術館所蔵 大日如来坐像
パブリックドメイン 



目次

現代では、何か科学的ではない事象について語るとき、神秘的とかオカルトといった言葉が用いられ、宗教もそのような範囲の中で捉えられる傾向が多分にあります。

しかし、世の中には科学では説明できない世界が存在します。

近年、宇宙の成り立ちや仕組みが解明されつつありますが、全体から見れば極僅かな範囲でしかなく、なぜそうなったかについては謎だらけです。

また、宇宙は138億年前に誕生したと考えられていますが、その前の無の状態はいつから存在しているのかや、宇宙の果てがどうなっているのかも、人間が用いている時間や空間の概念では理解できません。

ここには確実に、人間の認識が及ばない世界が存在しています。

そうであれば、宗教やスピリチュアルを全面的に否定することはできないはずです。


2 カルト宗教が幅を利かせている現状


ただし世の中を見渡してみると、おかしな教義を押し付ける宗教集団や、不安を煽って金をふんだくる宗教団体など、インチキな教団が幅を利かせています。

創価学会がいい例で、信仰に財務という名の金を要求し、賞ばかりかき集めて喜ぶ人間を崇め奉り、汚れ仕事はヤクザの後藤組に押し付け、始末が済めば知らんぷりを決め込むようなアコギな団体です。

さらには、ディープステート(戦争屋)の手下となって、身も心も破壊する薬物・コカインを売りさばいて得た違法な金のマネーロンダリングを行っており、そんなカルト教団を盲目的に信仰している人が大勢います。

それほど人々が現世に悩みを抱え、心の拠り所を求めている証でもありますが、こうした偽宗教の毒牙に掛かる前に、本当の宗教に触れるべきなのです。


3 日本人の日常生活と宗教心


ただ、宗教が身近になくとも、普段の生活に困ることはありません。

実際に、大多数の日本人は特定の宗教を信仰しておらず、出産時は神道の作法に従い、結婚時はキリスト教徒となり、葬式ではお経を唱えるように、何ら統一性がありません。

このことを持って、柔軟性や寛容性と捉える向きもありますが、信仰心が希薄であることは間違いなく、それで日常困ることもありません。

では、現代に宗教は必要ないのでしょうか?

そうではありません。


4 生きていくうえで宗教が必要な理由


人生を生きていく上で、宗教は間違いなく必要です。

その理由は、ある特定の遺伝情報が形質として現れる場合、置かれた状況によって結果が異なることと、また後天的に獲得した形質(獲得形質)が遺伝するという研究結果からです。

つまり、育った環境が、発現を含めた遺伝子そのものに作用するということです。

そして、環境をどう捉えるかは心の問題であり、またストレスが円形脱毛症を起こすように、心と身体は密接に繋がっていることを考えれば、置かれた境遇を心でどう感じるかが、直接遺伝子に作用すると言えるのです。

そのような中で宗教とは、心の持ちようや世界の成り立ちを真剣に追い求めた者たちが、一定の結論を下したものです。

よって、己の生きる指針を模索し、自分自身を確立するにあたり、本物の宗教が参考にならないはずがないのです。


5 ひもとくべき経典


ただ、何が本物の宗教なのかは主観的なものであり、様々な宗教に触れ、自分で取捨選択していく以外にありませんが、始めにカルト教団と接触してしまうと、その相手が上手であれば呑み込まれてしまいます。

カルトの人間は、一度集会に来てごらんよと軽く誘ってきますが、行ってしまったが最後、何人もの信者に取り囲まれて、大概は陥落してしまうでしょう。

彼らは予め、悩みを抱えた人や、優しい人などをターゲットに絞り、また折伏(しゃくぶく)をすれば功徳があると洗脳されているため、説得に必死になります。

このような危険を冒してカルト信者と接触しなくても、宗教に触れることはできます。

思索を重ねた修行者たちが作り上げた、教義や聖典がいくつもあるからです。

ただし、仏教・キリスト教・イスラム教・ヒンドゥー教を始め、儒教や道教なども含めると膨大な量になり、仏教だけでも様々な宗派と経典の解釈があり、この中でどれを選ぶかがまず問題になってしまいます。

6 仏教や密教とお大師さん信仰


また、広く浅くエッセンスを学ぶだけでなく、どれか一冊でも眼光紙背に徹するぐらい真剣に取り組むことで、何かが見えてくると思いますが、その中に弘法大師空海の著作が挙がってくるでしょう。

なぜならまず仏教は、明治維新によって廃仏毀釈が起きるまで日本の文化と密接に関わっており、密教は仏教の集大成として登場した思想であり、また日本には、四国の霊場を巡るお遍路や、火の前で修行をする護摩が知られているように、お大師さん信仰があるからです。

ただ、空海の知名度の割には、その肝心な思想に触れている人はそこまで多くないと思われ、私も人生を悩み抜かなければ真言密教に出会わなかったと思いますが、単純に大師の前半生を見るだけでも驚異的であり、そんな人物の著作に一度は触れてみるべきだと思います。

弘法大師は、衰退し始めた地方の名家に生まれ、一身の期待を背負って勉強し、官立の大学に入り、死に物狂いで学び始めたけれども、儒教という学問は重要ではないと判断し、官界での栄達や成功を捨てて退学し、仏教を学ぶために在家の修行僧となり、真理探究のための経典の学習や、身心を鍛えるための山岳修行や、将来の留学のための語学の習得など、10年余りにわたって自己研鑽を積んでいたような超人です。

そんな人間が残した言葉にこんなものがあります。


虚空尽き 衆生尽き 涅槃尽きなば 我が願いも尽きん 

こくうつき しゅうじょうつき ねはんつきなば わがねがいもつきん


この大空がある限り、生きとし生けるものが存在する限り、その者たちすべてが悟りを得ない限り、私の願いは尽きることがない


直訳は上記になりますが、この言葉の真意を、元高野山真言宗管長の松長有慶氏は次のように解説しています。


すべての生き物が、苦しみから解放されて悟りを得なければ、私の活動は永遠に終わらない


これは壮大すぎる宣言です。

いわゆる密教も含めた大乗仏教とは、自分一人だけの悟りを重視するのではなく、多くの人間を救済するという点において特徴がありますが、これだけの言葉を言わしめる根拠が、密教の経典や弘法大師の著作にあるのかを調べてみる価値はあるでしょう。

また、こんな桁外れな言葉を残した人間の著作に一度は触れてみることで、人間や人類にとっての宗教を考える機会にしても良いかもしれません。

7 虚無的ではない密教


仏教を、虚無的や厭世的と捉えている人も多いかもしれませんが、密教は積極的で包容力のある思想です。

また、一般的な仏教の開祖は歴史上の人物である釈迦ですが、密教では、釈迦の悟りの元となった宇宙の真理を大日如来と名付け、その仏から教えが始まる点に特徴があります。

さらに密教は、すべての人間が仏となれる性質を持つと唱える大乗仏教においても、この現世で生身のまま悟りを開くことができる即身成仏を強調し、空海はその理論的根拠を「即身成仏義」で著しています。

密教のことを、ヒンドゥー教の衣を着た仏教と評する識者もいますが、仏教は自他を区別しませんので、人を階級で分けるカースト制度を許容するヒンズーとは、明らかに一線を画しています。

現代で、供養以外に宗教が求められる場面といえば、オカルトや現実逃避などのケースが多いかもしれず、また教義を強要したり、恐怖を煽ったり、金銭を要求するカルト教団との出会いから、宗教はもう懲り懲りだという方も多いかもしれませんが、自分の生き方を見直す上で、密教を参考にしてみるといいかもしれません。

その取っ掛かりとして、いきなり経典を読むよりも、「密教とは」を解説した書籍を読むといいと思います。



紹介図書

0 件のコメント:

コメントを投稿