2017/11/19

愛国心を進化の視点から考察します



日本では、愛国心という言葉に良いイメージを持たれていないようです。

その原因は、第二次世界大戦における徹底的な敗戦、GHQの統治方針、街宣右翼、戦後蔓延した共産主義思想や反日的な教育などによるものと思われますが、日本において愛国心という言葉は、嫌悪感すら持つ人も大勢いたと思われます。

その風向きが変化したのは、日本と韓国の共催で行われた2002年のサッカーW杯だったように思います。

日本はホスト国として、世界各地から来日したチームをそれぞれの町で受け入れ、選手たちをもてなし、友好を深めました。

特に、カメルーン代表を受けれた大分県の中津江村が有名になりましたが、地域の人たちが外国人を受け入れ、その映像を広く日本国民が共有し、外国人と日本人としての自分を相対化させることで、自らの内に眠る日本を認識していったのだと思われます。

これは、オリンピックのように選手が選手村に閉じ込められてしまうのとは違う状況だと思われます。

そして、日本代表の躍進がありました。


1次リーグでの予想外の活躍に、多くの日本人がテレビに釘付けとなり、自分を重ねて応援しました。

またその当時、インターネット回線のISDNが各家庭に普及し、数々の問題を引き起こしながらもYAHOO!BBが低価格のADSLを提供し始めたりと、ネットの世界が拡大していく中で、共催した隣国・韓国チームの酷いラフプレーなどもネットで共有され、日本人の愛国心を刺激していきました。

ここに、戦後長らく歪められ、押さえつけられてきた自国を愛する気持が、国民の中に吹き出していったように思えます。

そもそも、自分の属する集団を応援する感情は、当たり前のものです。

その理由はまず、ヒトが集団を形成するように進化してきたからです。

同じ霊長類でも、ボノボやチンパンジーは集団を作りますが、オランウータンは単独で生活し、それも雌雄すら一緒に行動しません。

初期のヒトが集団を作っていた一番の理由は、食糧事情によるものとされています。

ヒトの消化器官は、ゴリラやオランウータンのように豊富に存在する樹上の葉を処理できないため、多種多様な食べ物を摂取して生活してきました。

そのためヒトは協力して狩猟や採集をする必要があり、集団の数が少なすぎれば充分な食糧を得られず、多すぎれば飢えてしまうという制約のもと、また大型動物といった捕食者などから身を守る手段としても、適度な数の集団(バンド)を形成してきました。

この集団の人数については、食糧事情の他に、お互いの関係性を認識できる限度、大脳新皮質の大きさ、維持できる血縁関係の限度などと関連しているとの研究もありますが、ともかくヒトは一人では生きられず、集団で協力し合い、厳しい環境を生き抜いてきました。

しかし、集団内の人間は仲間である一方で、食糧や生殖を巡る競争相手にもなります。

生命の目的は、自分が生きることと自分の子孫を残すこと(自己保存と自己複製)が主であり、資源が限られていれば、集団内での争いとなります。


その無用な争いを避ける解決方法として、チンパンジーはボス(アルファオス)を頂点とした厳格な序列を作りますが、初期のヒトは、現存する狩猟採集民を観察する限り、意識的に平等を演出する社会を作り、集団を維持してきたと考えられています。

ただし、不足する資源が他に存在すれば、獲得しようとするのは当然の流れです。

そのため、集団を形成したヒトは、他集団との激しい闘争をしてきました。

現存する多くの未開部族では、頻繁に他集団との暴力的な争いを行い、そこでは多くの命が奪い奪われています。

ブラジルのアマゾンに暮らすヤノマモ族は、男性の約30%が戦争で命を落とし、ニューギニア高地のドゥグム・ダニ族は、男性の死因の28.5%が戦死であり、オーストラリアのムルンギン族では28%であり、南米エクアドルのアマゾンに住むワオラニ族では、暴力による死者が60%であったとされています。

この戦争の原因は、実利的なものである生存と生殖、つまり、縄張りを手に入れることで希少な食糧の可動領域が広がることや、主に父系社会と一夫多妻制を形成してきたヒトの社会に不足する女性を獲得するためになります。

このように他集団の構成員を殺害し、殲滅させるような暴力はチンパンジーにも見られますが、生物全体からすると特殊のようです。

ともかく導き出される結論として、ヒトの社会は、誕生した約250万年前の先史時代から、集団による闘争を繰り返してきたようです。

このことを確認するため、1950年代に、アメリカのオクラホマ州で集団に関する実験が行われました。

その目的は、集団における敵愾心がどれくらい簡単に生じるかを調べたもので、11歳の健全な白人少年たち22名が研究対象となり、サマーキャンプを舞台に行われました。

心理学者たちは、まず少年たちを二つのグループに分け、お互いに接触しないよう隔離しました。

一週間経つと、集団内にアイデンティティとリーダーと文化が生み出され、団結していきました。

その後フェアな野球の試合を行ったところ、負けたチームが、その夜相手の宿舎に襲撃を掛けたというものです。

我々の遺伝子は、集団間で争うよう長い年月を掛けて進化してきたと思われ、現代でも、企業、民族、国家など様々な組織で争いが行われています。

会社を例にとれば、自社が同業他社との競争に打ち勝ち、業績を伸ばしていけば給料は増えますし、倒産をすれば食い扶持を失うように、属する集団の利益が自己の利益に繋がり、属する集団の強さが自己の生存に繋がることは現代でも変わりません。

その集団が強くなる条件として構成員や設備などの能力、またその数なども挙がりますが、結束力も重要な要素となります。

つまり人間は、生きていくために集団を形成し、集団同士の戦いに勝つために結束力が生み出され、それにより愛国心も不可欠だとする考えが導き出されます。

しかし、これでは空しい結論です。

生存のため、争いのために愛国心を正当化すると、行きつく先は、相手を殲滅する偏狭な愛国心にしかならないと思われます。


仏教の開祖である釈尊(ゴータマ・シッダールタ)は、晩年に起きた、自らの民族である釈迦族の滅亡を甘受しました。

釈迦族は、ヴィドゥーダバ王率いる大国のコーサラ国に攻め込まれ、最終的に滅ぼされてしまいましたが、ここでの解釈は、前世での悪い行いが現れたとする宿業や、ヴィドゥーダバに為した釈迦族の悪い行いに対する因果応報になりますが、永遠不変のものはないとする諸行無常や、執着から抜け出すことや、自他を区別しない無我を読み取ることができます。

この初期の仏教を論拠とすると、愛国心は必要なく、国や民族など滅ぼされても構わないと解釈できることになります。

一方で、仏教の最終段階に登場した密教は、大胆にも愛欲を肯定します。

そして、真言宗の開祖である弘法大師は、嵯峨天皇に協力し、護国のために密教を役立てました。

また唐の玄宗皇帝らに仕えた不空三蔵も、鎮護国家として密教を活用しました。

これは権力に擦り寄ったというのではなく、国土を災害から護ることにより、そこに住まう民を護ることに繋がるという思想です。

密教は、物質を否定せず、怒りや愛、性欲すらも高次なものに昇華するならば是とする、人間を絶対的に信頼し、積極的に生を肯定する宗教です。

この密教思想を取り入れ、そこから見いだせるものは、執着から離れるために国家を捨てる、自他の区別を否定するために国家を捨てるという考えではなく、自国を愛し、同じように他国を愛していく絶対的な愛です。

自分を愛せない人間が他人を愛せないように、自国を愛せない人間は他国も愛することはできないと思われます。

地球市民や世界平和への意識は、自国への想いを捨てることではなく、自国を愛することから始まるはずです。

その愛国心を、偏狭で独善的なものにするのではなく、大きなものに育てていくことが大事だと思います。

現代社会はインターネットが急速に発展し、国の垣根が大きく取り払われようとしています。

文字の意味を理解する翻訳機能や、高度な映像配信技術が誕生し、このまま進んでいけば、国に縛られない働き方が実現し、愛国心が薄れていくことも予想されます。

それが歴史の必然だとしても、仮に遠い将来、国という単位が消滅するとしても、自己の属する集団を愛することと同じように他の集団も愛し、方便ではない真の八紘一宇の精神を体現することこそが、戦争や紛争のない社会への実現に繋がっていくはずです。



参考文献


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