長男は気弱な人間に育つ可能性がある、と言われることもありますが実際どうなのかを考察してみます。
昔から存在する一姫二太郎という成句の意味は、初めに授かるのは女児がよく、二番目に授かるのは男児がよいという理想の順番を表しているものです。
昔から存在する一姫二太郎という成句の意味は、初めに授かるのは女児がよく、二番目に授かるのは男児がよいという理想の順番を表しているものです。
女の子が先で、その次に男の子の順番が良いとされる理由は、
しかし、その手探りを突破したとき、大きな力を発揮するのも長男の特徴だと思われます。
要するに、下の子は良くも悪くも上の子の影響を受けますが、長男は自分で人生を切り開いていかなくてはなりません。
よって、独創性を発揮して大物になるのは長男かもしれず、突飛な方向に進んでしまうのも長男かもしれず、また、長男であるがゆえの弱さを認め、弱さと向き合い、弱さを克服したとき、真の強さを発揮するのが長男かもしれません。
- 女児は男児より病気にかかりにくく、大人しくて育てやすいため、不慣れな一人目の育児は女児がよい。
- 一人目に家を継ぐ男児が産まれなかった者への慰めの言葉として、一人目は女児がよい。
- 一人目に女児を授かると、将来下の子が産まれたときに色々とお手伝いをしてくれて母親が助かる。
- 肩幅が広いなど骨格がたくましい男児は、産道が広がっている二人目に産むのがよい。
などと考えられていたからだそうです。
まがりなりにも父親である私の経験上この慣用句を考えてみると、女児は男児より病気にかかりにくいとか、大人しいとかは個人差があるので一概には言えないと思いますが、二人目の方が一人目よりも伸び伸びと育つとは思いました。
なぜなら、一人目のときは手探りで分からなかった危険性の判断や手の抜きかたを、二人目では上手く使えたからです。特に母親は、妊娠中は言うに及ばず、母乳の与え方、ゲップの出し方、離乳食のタイミングなど、何から何まで分からない一人目の育児は神経質にならざるをえません。
以上を考慮すると、気弱で大人しい性格が不利とならない女児が一人目で、男児が二人目がいいという一姫二太郎は理に適っているかもしれません。
上記の内容に関し、二人兄弟の弟である私の立場としては納得できる部分があります。
我が家も、上記の例に漏れず、母親が長男である兄へと勉強や読書を押し付ける形で過剰に干渉したため、グレてしまいました。
また兄は、小さい頃の兄弟喧嘩に関し、弟が怒られない事の理不尽さを苦々しく思っていたと今でも語るように、長男であるがゆえのハンディキャップを認識していたようです。
そして、やはり打たれ強さに関しては、弟の私の方があると思います。
しかし、子供が自分の性格を形成していく過程には様々な影響が存在し、その子の先天的な性格も加味すると、どのような性格になるのかは一概には分かりません。
そのため、一番目に男児が産まれたからといって必要以上に悩む必要はないと思いますが、ある程度の傾向があることは理解しておいたほうがいいかもしれません。
では、気弱で打たれ弱い男の子に育ってしまうと、なぜ困るのかを考えてみます。
いくら男女共同参画社会の現代といえども、男性の泣き言や弱音は女性よりも受け入れられません。
また、将来電車の男性専用車両が設けられることもないはずで、それは取りも直さず、男性は女性よりも乱暴であると言い換えることができます。
そんな男同士との生存競争に関し、気弱であれば当然負けて脱落してしまいます。
もちろん暴力を行使すれば逮捕となって負けてしまいますが、人間社会で行われている競争には、特技を誇示するといった動物と同じような威嚇もあり、自分の得意分野を戦える武器にまで高めるのは、特に攻撃的なホルモンであるテストステロンが旺盛な男性にとって必要なことだと思われます。
また、言うまでもなく強制性交等罪(旧強姦罪)に関する事件はほとんど男性が起こすものであるように、その力の強さを間違った方向に使わないように、卑怯であることの意識についても、男性はより敏感であると私は思います。
そして、正しさや優しさとは強さから生まれるものです。
男性の優しさとは、包み込むような女性の優しさとは違うものかもしれませんが、強さから生じる優しさを育むためにも、男児はある程度強く育てる必要があります。
では長男の他の特徴を挙げてみます。
まがりなりにも父親である私の経験上この慣用句を考えてみると、女児は男児より病気にかかりにくいとか、大人しいとかは個人差があるので一概には言えないと思いますが、二人目の方が一人目よりも伸び伸びと育つとは思いました。
なぜなら、一人目のときは手探りで分からなかった危険性の判断や手の抜きかたを、二人目では上手く使えたからです。特に母親は、妊娠中は言うに及ばず、母乳の与え方、ゲップの出し方、離乳食のタイミングなど、何から何まで分からない一人目の育児は神経質にならざるをえません。
- その神経質な親の干渉の結果、一人目の子供は伸び伸びと育ちにくくなります。
- 上の子は下の子が生まれると、母親の愛情が自分から離れてしまったと感じ、自己肯定感が低下していき、自信のない気弱な性格になる可能性があります。
- 上の子は喧嘩をする相手が下の子になり、いじめられた辛い思いを経験しないまま育つので、打たれ弱い性格になる可能性があります。
- 上の子は下の子と喧嘩をすると必ず勝ってしまうため、年齢が上なんだから手加減しなさい、優しくしなさいと親から言われ、自分の主張が否定されるケースが多くなり、自己肯定感を育みにくくなります。
- 上の子なんだからしかっりしなさいといった下の子との理不尽な比較から、変なプライドや責任感が生まれる可能性があります。
以上を考慮すると、気弱で大人しい性格が不利とならない女児が一人目で、男児が二人目がいいという一姫二太郎は理に適っているかもしれません。
上記の内容に関し、二人兄弟の弟である私の立場としては納得できる部分があります。
我が家も、上記の例に漏れず、母親が長男である兄へと勉強や読書を押し付ける形で過剰に干渉したため、グレてしまいました。
また兄は、小さい頃の兄弟喧嘩に関し、弟が怒られない事の理不尽さを苦々しく思っていたと今でも語るように、長男であるがゆえのハンディキャップを認識していたようです。
そして、やはり打たれ強さに関しては、弟の私の方があると思います。
しかし、子供が自分の性格を形成していく過程には様々な影響が存在し、その子の先天的な性格も加味すると、どのような性格になるのかは一概には分かりません。
そのため、一番目に男児が産まれたからといって必要以上に悩む必要はないと思いますが、ある程度の傾向があることは理解しておいたほうがいいかもしれません。
では、気弱で打たれ弱い男の子に育ってしまうと、なぜ困るのかを考えてみます。
いくら男女共同参画社会の現代といえども、男性の泣き言や弱音は女性よりも受け入れられません。
また、将来電車の男性専用車両が設けられることもないはずで、それは取りも直さず、男性は女性よりも乱暴であると言い換えることができます。
そんな男同士との生存競争に関し、気弱であれば当然負けて脱落してしまいます。
もちろん暴力を行使すれば逮捕となって負けてしまいますが、人間社会で行われている競争には、特技を誇示するといった動物と同じような威嚇もあり、自分の得意分野を戦える武器にまで高めるのは、特に攻撃的なホルモンであるテストステロンが旺盛な男性にとって必要なことだと思われます。
また、言うまでもなく強制性交等罪(旧強姦罪)に関する事件はほとんど男性が起こすものであるように、その力の強さを間違った方向に使わないように、卑怯であることの意識についても、男性はより敏感であると私は思います。
そして、正しさや優しさとは強さから生まれるものです。
男性の優しさとは、包み込むような女性の優しさとは違うものかもしれませんが、強さから生じる優しさを育むためにも、男児はある程度強く育てる必要があります。
では長男の他の特徴を挙げてみます。
- 下の子が産まれるまでは、両親の寵愛を一身に受けることができる。
- 新品の衣類などを着用できる。
- 親の介護が待っている。(一概には言えませんが)
- 時代は変われども家長としての責任がある。
うーん、どうでしょうか。
家長としての責任に関し、お互いいい歳となった兄弟の話になりますが、先日実家の大事な取り決めをする際、弟の私に任せきりにする兄に対し、私は次のような言葉を放ちました。
「お前は何のために長男に産まれたのだ?」
この私の言葉は、家父長制の面影すら見られなくなった現代日本社会で妥当性があるのか分かりませんが、まだまだ年長者を敬う長幼の序は社会の中に生きており、葬儀の喪主や施主は基本長男が務めることからも見当違いの言葉ではありません。
兄とのやり取りには続きがあり、私はさらに畳み掛けるように、
「今まで散々家族に迷惑を掛けたのだから、こんな時ぐらい長男らしいところを見せてくれ」
と言い放つと兄は、
「長男としての役割など、とうの昔に放棄した」
と言い返してきました。
そして後から、
「俺はフォードだ。自分より弟のお前が上手に対処してくれるのであれば、お前に任せる」
のような事を言ってきました。
このフォードとは自動車王ヘンリー・フォードのことであり、学歴がないにも関わらず大成功を収めたフォードが、いわゆるエリート層から嫉妬を買い、高校中退者には答えられない質問をされたとき、
「その答えは分からないが、その分野で最高の人物なら5分で連絡が取れる」
と応じた逸話に由来するものであり、兄には上手くはぐらかされてしまったのですが、やはり時代が変わったとしても、長男にはそれ相応の責任があるとの認識はまだ多くの人が持っていると思います。
また、長男は家の中に真似をするロールモデルがいなく、手探りで人生を渡っていくため、手堅い人生を送るケースが多いかもしれません。
家長としての責任に関し、お互いいい歳となった兄弟の話になりますが、先日実家の大事な取り決めをする際、弟の私に任せきりにする兄に対し、私は次のような言葉を放ちました。
「お前は何のために長男に産まれたのだ?」
この私の言葉は、家父長制の面影すら見られなくなった現代日本社会で妥当性があるのか分かりませんが、まだまだ年長者を敬う長幼の序は社会の中に生きており、葬儀の喪主や施主は基本長男が務めることからも見当違いの言葉ではありません。
兄とのやり取りには続きがあり、私はさらに畳み掛けるように、
「今まで散々家族に迷惑を掛けたのだから、こんな時ぐらい長男らしいところを見せてくれ」
と言い放つと兄は、
「長男としての役割など、とうの昔に放棄した」
と言い返してきました。
そして後から、
「俺はフォードだ。自分より弟のお前が上手に対処してくれるのであれば、お前に任せる」
のような事を言ってきました。
このフォードとは自動車王ヘンリー・フォードのことであり、学歴がないにも関わらず大成功を収めたフォードが、いわゆるエリート層から嫉妬を買い、高校中退者には答えられない質問をされたとき、
「その答えは分からないが、その分野で最高の人物なら5分で連絡が取れる」
と応じた逸話に由来するものであり、兄には上手くはぐらかされてしまったのですが、やはり時代が変わったとしても、長男にはそれ相応の責任があるとの認識はまだ多くの人が持っていると思います。
また、長男は家の中に真似をするロールモデルがいなく、手探りで人生を渡っていくため、手堅い人生を送るケースが多いかもしれません。
しかし、その手探りを突破したとき、大きな力を発揮するのも長男の特徴だと思われます。
要するに、下の子は良くも悪くも上の子の影響を受けますが、長男は自分で人生を切り開いていかなくてはなりません。
よって、独創性を発揮して大物になるのは長男かもしれず、突飛な方向に進んでしまうのも長男かもしれず、また、長男であるがゆえの弱さを認め、弱さと向き合い、弱さを克服したとき、真の強さを発揮するのが長男かもしれません。
以上、私の勝手な考えを述べてきましたが、今は一人っ子も増えており、一人っ子の長男であれば、また状況が違うのかもしれません。
兄弟姉妹との相克や協力関係とは、人間社会における大きなテーマであり、また、友達との喧嘩で手を出したら大問題に発展しますが、兄弟姉妹であれば、「あんたたち止めなさい」で済んでしまうことを考えると、打たれ強さを育める兄弟はいた方が良いのかもしれませんが、遺産相続で骨肉の争いを演じる兄弟を考えると、良いとも言えないかもしれません。
ということで、長男の特徴やデメリットとして一定の法則は存在しているかもしれませんが、人には生まれ持った個性や、周りの友人関係なども影響してきますので、一概にこうだと断定することはできないかもしれません。
兄弟姉妹との相克や協力関係とは、人間社会における大きなテーマであり、また、友達との喧嘩で手を出したら大問題に発展しますが、兄弟姉妹であれば、「あんたたち止めなさい」で済んでしまうことを考えると、打たれ強さを育める兄弟はいた方が良いのかもしれませんが、遺産相続で骨肉の争いを演じる兄弟を考えると、良いとも言えないかもしれません。
ということで、長男の特徴やデメリットとして一定の法則は存在しているかもしれませんが、人には生まれ持った個性や、周りの友人関係なども影響してきますので、一概にこうだと断定することはできないかもしれません。
0 件のコメント:
コメントを投稿