2017/09/15

アンチにもおすすめしたい村上春樹氏の短編小説「かえるくん、東京を救う」



canva kamilさんより


村上春樹氏といえば、コアなファンとアンチに真っ二つに別れ、作品に賛否両論が巻き起こります。

アンチからすると、話の内容にリアリティがなく、論理も破綻し、会話もファンタジーすぎて、読み進むことができないとなり、ファンからすると、そのファンタジーが現実を映す鏡であり、リアリティが存在するとのようです。

個々の作品や文章の解釈にも、特段まともな意味はないとするアンチと、その中に何かが表象されていると絶賛するファンに別れます。

この終わりそうもない議論はさておき、それでも彼は世界的に名が知られ、日本を代表する作家です。

そんな春樹氏の作品でもっともおすすめしたいのは、


かえるくん、東京を救う


です。

この作品は、1999年に発表された短編集「神の子どもたちはみな踊る」に収められた一編です。

その詳細な理由は後ほど解説しますが、本記事は、彼の作家としての軌跡と、代表作である「ノルウェイの森」や「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を多角的に紐解いていきます。

春樹氏が文壇デビューを果たしたのは、氏が30歳のときの1979年であり、長編小説の「風の歌を聴け」で群像新人文学賞を獲得し、作家としての道を歩み始めました。

その2年後に、経営していたジャズ喫茶の店を畳んで専業作家となり、そこから精力的に短編を書き続け、長編も着実に出していきました。

そんな春樹氏を一躍有名にしたのは、37歳のときに書いた恋愛小説「ノルウェイの森」でした。

当時としては空前の売り上げを誇り、社会現象すら巻き起こし、現在まで1000万部以上売れている大ベストセラー作品です。

本の内容は、何の変哲もない恋愛と呼べるか分からない恋愛小説であり、愛にまつわる人間のおぞましい欲望や高潔な精神が描かれているわけでもなく、恋の駆け引きや苦悩が表現されているわけでもなく、無意味に人が自殺する論理もへちまもない作品ですが、日本中で売れに売れました。


では、この作品が売れた理由を考察してみます。


この本が発売された1987年の世相は、バブル景気が加速していく頃で、人々はお金を持っていたことが売れた要因として1つあるでしょう。

また物語の冒頭は、ハンブルク空港に着陸しようとするボーイング747の機内であり、そこからBMW、フランドル派、ビートルズ、ビリージョエルと登場し、極めつけはスチュワーデスとの英会話と、2ページの中に異国の香りがところ狭しと漂い、好景気により増えていた海外旅行へ誘う文面が、人々の興味を誘ったこともあるでしょう。

他には、好景気によって生存の不安がなくなり、立ち向かうべき人生の目的がないとすれば、あとは異性を求めるだけですから、恋愛小説と銘打ったこの本に指南書としての役割を期待し、購入されたのも1つの要因でしょう。

本の装丁が赤と緑のクリスマスカラーで、自分や他人へのプレゼントに選ばれたのもあるかもしれません。

さらには、流行している本だから素晴らしいのだ、という日本人特有の同調圧力が売り上げを加速させたことも要因としてあるでしょう。


しかし、本質は違うところにあると私は考えます。

好景気に浮わつきつつ、買い物や旅行、高級レストランやディスコに精を出したとしても、心からの充実は得られません。

むしろ、物質などの外から与えられる条件が増せば増すほど虚しさは募り、人々の満たされない気持ちは心の奥底に積もっていったと思います。

そんなときに、意味もなく自殺し、意味もなくセックスをする、退廃的で不合理でアンニュイな、文学という衣をまとった春樹氏の作品が登場しました。

人々の満たされない気持ちが、作中の登場人間たちの行動によって正当化され、読者たちは救われたのではないでしょうか。

まさしく小説ノルウェイの森は、時代に蔓延する満たされない精神を、投影していたのです。


彼は決して時代に媚びたのではなく、時代と寝ていたのです。

その後の春樹氏は、国内ではベストセラーを連発し、海外でも売り上げを伸ばしていき、作家としての地位を磐石なものにしていきました。

また、ノーベル文学賞に近い作家に与えられるとされる、フランツ・カフカ賞やエルサレム賞も受賞して、有名作家への仲間入りを果たしていきました。

このような順風満帆な春樹氏に鉄槌を食らわしたのが、2013年に発売された、



「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」


に対する数々の悪評でした。

作品におけるリアリティのなさが、多くの人々の槍玉に挙げられました。

春樹氏の多くの作品はファンタジーであり、そこを受け入れて楽しむ読者が大勢いますが、多崎つくるはファンタジーを抜きに成り立つ現代小説であり、読者を納得させて虚構に入り込ませるには、細部にわたる論理的な必然性が求められます。

しかし、多崎にはそれがなく、読者のなぜという疑問に答えは示されず、読者は置いてきぼりをくらいます。

また、孤独や悩みを扱っているにも関わらず、毎度のようにセリフが軽薄で、まさにファンタジーであることから批判に晒されました。

そのリアリティのなさは、春樹氏が本物の苦悩を経験していないからなのか、お金と名誉を得たことで書くモチベーションが見つからないのか、ただ単にライターや編集者が書いているからなのか、もともと細部にわたる論理を構築できない作家なのかは分かりませんが、多崎つくるは物語として上手く機能しているとは言えず、巡礼という大袈裟な言葉が上滑りし、浅薄な感は否めませんでした。

人気作家の宿命とはいえ、毎回期待されるのは酷のような気もしますが、多くの人々は、メディアや評論家が垂れ流すうんざりするほどの賛辞に反旗を翻しました。

特に、Amazonに書き込まれたドリー氏のレビューが注目を浴び、その的確で面白い書評は、多くの人々の賛同を集めました。

春樹氏の作品で語られる、凡人には読み取れないが、実は高度な内容や深遠な哲理が隠されている、などという売り文句に惑わされず、読者たちは自分の判断で作品を評価しました。

他にも、海外で評判だから、外国人が評価しているから春樹の作品は凄いのだといった、日本の有史以来続く卑屈な根性を、ネット時代の闊達な精神によって打破したことは、画期的であったとも言えるでしょう。

そもそも、作家の本質が現れる処女作の「風の歌を聴け」にしても、






Michael SchwarzenbergerによるPixabayからの画像 



論理とは無縁の作品で、虚心坦懐に接してみても、心に届いてくる文言や唸らされる言い回しは、題名以外何もありません。

死は生の対極でも一部でもなく、一体(一如)です。

本人は論理では分からないと語っているそうですが、我々は論理や因果律の世界に生きています。


仮に違う認識論があるとしても、読み終えた後に物語から浮かび上がるテーマは残念ながらありません。

では、彼の作品に捧げられた数々の賛美は、すべてがメディアによって作り上げられた資本主義社会の虚構なのでしょうか?

私は、春樹氏の作品をすべて読んだわけではありませんが、1999年に脱稿された短編「かえるくん、東京を救う」は、素直に感情を揺さぶられました。

本編は、神戸の震災にまつわる短編集「神の子どもたちはみな踊る」の中の一編であり、彼の特徴が凝縮された作品だと思います。

(ネタバレあります。)

内容は、主人公がアパートに帰ると、部屋に巨大なカエルが待っているところから始まるファンタジーになりますが、1つの世界観が見事に構築されています。

主人公の片桐は40歳の独身で、信用金庫に勤める平凡な男として描かれ、その片桐に対し、東京を救うためあなたの力が必要だとかえるくんは訴えます。

その理由は、片桐の勤める信用金庫新宿支店の地底には、巨大なみみずくんが住んでおり、そのみみずくんが近々大きな地震を起こす予定で、それを未然に防ぐために、2人で協力してみみずくんと闘おう、とかえるくんは片桐に説きます。


そして春樹氏は、この闘いのことを次のようにかえるくんに言わせています。


負けても誰も同情してくれず、勝っても誰も誉めてくれない孤独な闘いではあるが、遂行しなければならない。



これと同じように、世の中の圧倒的多数の人が、俗に言う成功とは無縁で、誰にも顧みられることのない日々の中で、自分の考える闘いを生き、そして死んでいきます。

阪神淡路大震災で命を落とした何千もの無名の人たちも同じであり、そんな無数の無名の人々の行動によって、我々の社会は循環しています。

そして、闘いを終えて傷ついたかえるくんは、悪臭を放ちながら大宇宙に還っていき、
物語の最後に主人公は夢から覚めます。

いわゆる夢オチですが、ここに登場するかえるくんは、これからの片桐を暗示し、またその片桐は、市井に生きる無数の平凡の人々を象徴しているのではないでしょうか。

我々人間は、夢のように儚く短い一生において、繰り返しますが、自分の正しいと考えるものに対し、多かれ少なかれ闘いを挑み、ほとんどの人は勝つにしろ負けるにしろ、注目を浴びることなく死んでいきます。

今はWEBの発達により、Twitterのリツイートなどで個人が脚光を浴びる時代になりましたが、それでも大多数の人はそのようなものとは無縁の中で生き、そして死んでいきます。

春樹氏本人は、俗に言う成功を収め、富も名声も手に入れましたが、しょせんは邯鄲の夢の儚い栄華であり、そんなことは人生において一義的ではないと、阪神大震災における無数の人の死によって、本人は潜在顕在どちらにしろ気がついたのではないでしょうか。

そして、もしかしたら当時の自分に疑問を抱き、シャレオツ気取りの主人公ではなく、自分とは違って注目されることのない平凡な人々に光を当てたのではないでしょうか。

そのような春樹氏の想いが、同時代に生きる人々との時代的共感にまで昇華されている、と作品から感じたのは私の思い過ごしでしょうか。

またこの短編も、多崎つくると同じで物語における論理的な必然性は存在しませんが、不合理を上回る世界観が構築され、ファンタジーの中にリアリティを見いだすことができます。

最後にかえるくんは死んでいきますが、そこから感じたのは人間賛歌でした。

なぜなら、生と死は一体であり、また、人生における闘いが、たとえ誰にも顧みられなかったとしても、そこには必ず人間ドラマが存在し、人間の生きた証が存在するからです。

物語の終わり方も秀逸で、私はこの作品から閑吟集の一節が思い浮かびました。


なにせうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ


ということで、私が考える春樹氏のおすすめ作品は、「神の子どもたちはみな踊る」に収められた「かえるくん、東京を救う」の短編です。

本文には、過去の文学作品を面白おかしく引用している箇所がありますが、それらを知らなくとも読み通せますし、むしろその部分が、アンチにとっては鼻に付く記述であり、ファンにとっては流石春樹となる記述でもあるので、彼を理解する上で、読んでおかなければならない作品でしょう。

この作品が傑作かどうかは、「百聞は一見に如かず」だと思いますので、もし興味を持った方は読んでみてください。



紹介図書


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