2017/06/23

子供の意思と活力を育む方法



ととかんさんによる写真ACからの写真 



歴史に名を残した人物は、運や周囲の引き立てが関係していることも多いですが、まず本人に強固な意志が存在し、活力を無尽蔵に抱え、目的に向かい邁進していったケースが多いでしょう。

当然ですが、その目的が大きければ大きいほど、挑戦や努力の原動力となる、強固な意志や旺盛な活力(バイタリティー)が必要になります。

しかし、人間は成長するにつれ、思い通りにならない現実に直面する機会が増えてきます。

それを繰り返していくと、


どうせまた駄目だろう・ここで行動や主張をしても無駄だろう


と考え、徐々に意志や活力を失っていきます。

そして、世の中は妥協の上に成り立っていると理解し、やがては、現状をただ無難にやり過ごすことが最善と考え、ややもすると惰性で人生を生きていくようになります。

それは仕方がないことだと割り切ったとしても、人生は時に、強い意志や持続的な活力を要求してくるケースがあるでしょう。

そうであれば、少しでも子供時代に、行動の源泉となる意志や活力を育むべきでしょう

では、どうしたら強固な意志や旺盛な活力を育てることができるでしょうか?

それは、幼少期に滅多なことで駄目と言わないことから始まるのではないでしょうか。

なぜなら、「それは駄目・これは駄目・あれは駄目」と行動を抑止することは、子どもの意志を否定することになり、それが続けば、やがては意志を持つことが無駄で意味のないことだと理解し、次第に意志のある自発的な行動が減り、さらには活力も失っていくからです。

よく例として挙げられるのが、足に鎖を嵌(は)められた象が、どうあがいても逃げられないことを学習してしまうと、それ以降、鎖を外しても逃げなくなるという事象です。

つまり、自分の意志を否定され続けると、意志を持つことの無意味さを理解してしまい、意志を放棄し、活力も失っていくということです。

そのため、危険な行動や甘えた行動以外、極力子供の意志を尊重するべきであり、自分の意志で世界に働きかけることを繰り返していけば、意志は大きく育まれ、活力、言い換えると生命力も育まれていくでしょう。

元来、どんな人間にも強固な意志と溢れる活力は存在しています。

それは、産まれたての赤ちゃんが大声を出して泣くことから分かります。


今は、YouTubeなどで様々な動物の出産シーンを観ることができますが、他の哺乳類の赤ちゃんは、出産時に声を出すことはありますが、大きな産声を上げることはありません。

声を出せば、捕食者に察知されて危険なためか、または人間の赤ちゃんとは違い、泣いて意思表示をしないからなのかは分かりませんが、人間以外の哺乳類の赤ちゃんは、大きな産声を上げることはありません。

もしかしたら、非常にか弱い存在であった初期の人類も、捕食者からの危険回避のため、産声を上げなかったかもしれず、普段も泣かなかったかもしれません。

人類は脳を発達させ、様々な道具や火を使うことによって目に見える危険な捕食者を排除し、地球上で絶対的な地位を確立しました。

このことで、赤ちゃんが泣く行為は危険ではなくなり、歴史上のある時点で泣いて意思を伝える赤ちゃんが登場し、泣かない赤ちゃんよりも周りに早く危険に気づいてもらえることで生存率が上がり、その淘汰圧(選択圧)が掛かったことにより、今現在すべての人類の赤ちゃんが泣くようになったのかもしれません。

ですが、ここで疑問が生じます。

泣くことで意思を伝える能力を人間の赤ちゃんが獲得したとしても、産まれたばかりの赤ん坊が大きな声を上げる理由はどこにもありません。


一般的に言われているように、赤ちゃんの産声は肺呼吸に移行するためのステップであるとの説明は、他の哺乳類の赤ちゃんが産声を上げないことから、正しくないように思えます。

もし正しいとしても、人間の赤ちゃんがあそこまで大げさに泣く理由の説明にはなりません。

赤ちゃんが普段泣く理由は、お腹が空いたときや、排泄をして気持ちが悪いときや、母親の温もりが欲しいときや、眠いときや、病気のときなどであり、産まれたての赤ちゃんが大きな産声を上げる理由はありません。

もしかしたら、自分の鳴き声を母親に刻み付けるためなのかもしれませんが、私には、赤ちゃんがこの生まれ落ちた世界で、僕は、私は、精一杯生きていくんだという、意思表明のような気がしてなりません。

いずれにせよ、赤ちゃんが全身を使って大きな産声を上げる行為は、意志とエネルギー(バイタリティー)の発露であり、それは誰しもに元来備わっているもののはずです。

そしてこの資質を潰さず、育んでいくためには、駄目と言わない子育てが必要なのではないでしょうか。

しかし、この意志と活力という性質を潰さずに伸ばすと、わがままな性格も付随してきますので、これを抑制して我慢を学ばせなくてはなりません。


人間が何かを成し遂げる過程には、様々な困難が待ち受けています。


何ヵ月も何年も成果が出ないことがあるでしょう。

ときには大きな抵抗に遭い、中断を余儀なくされることもあるでしょう。

外部環境や内部環境の劇的な変化があるかもしれません。

一旦立ち止まり、時流をじっくりと見極めなければならないこともあるでしょう。


そしてこの試練の時を我慢しなければ、決して先には進めません。

強固な意志があればこそ、我慢ができるというのは事実ですが、子供にとって、意志や活力と我慢は対立するものであり、我慢を学習させなければなりません。



では、この我慢という性質を、極力意志や活力を潰さずに教え込むには、どんな方法が良いでしょうか?



私が採った策は、買わないにも関わらず、わざとお菓子売り場に連れていくことでした。

子供がお菓子などの甘いものを好むのは様々な理由があると思いますが、自然な欲求でしょう。


ですから、普段はルールを決めてお菓子を与えますが、今日はスーパーで買わないと決めた日に、あえてお菓子売り場に連れて行き、泣いても喚いても絶対に買わないことで、我慢を覚えてほしいと思いました。

この行為は、母性から捉えたら可哀想なのかもしれませんが、父性から捉えたら必要ではないかと私は考えました。
子育てには父性と母性が必要であり、母親が父性を行使しても構いませんが、父親がいるのであれば、我慢のような厳しさを教える行為は主に父親が担当するべきだと思います。

そして、このお菓子を我慢させる行為は、生物の基本原則である、


代謝

生命維持活動に必須なエネルギーの獲得や,成長に必要な有機材料を合成するために生体内で起るすべての生化学反応の総称。




に逆らうことであり、また飢餓の恐怖が刻まれた人類の遺伝子に抵抗を試みることでもあります。

よってこの我慢は、人間を遺伝子のしもべにさせないための非常に大切な鍛練であり、また子供が我慢を学ぶのに、うってつけの方法と言えるはずです。

この方法を子供の教育に取り入れることにより、「武士は食わねど高楊枝」の精神が身に付き、お菓子売り場を平然と睥睨できるまでに育って欲しいと私は考えました。

そして、いつの日か子供が夢を抱いたとき、遺伝子が囁く飢餓の恐怖を精神によって超克し、意志と活力、そして我慢を持って挫けずに歩んでいくことができれば、子育ては成功したと言えるかもしれません。


ちなみに、飢餓の恐怖を克服することは、お菓子を我慢することぐらいではできないのは当然であり、また小さい頃の出来事であれば尚更であり、精神が成熟した大人になってから、高僧のように厳しい精神の鍛錬を積む必要があることは言うまでもありませんが、人が人たる所以(ゆえん)は、遺伝子の命令を乗り越え、心によって自己を決定することができる、ということではないでしょうか。


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