2017/07/08

若さに価値はあるかもしれないが、誰しもが等しく与えられた今を生きている




Gerd AltmannによるPixabayからの画像 



若い時代は、二度と戻ってきません。

ときに背伸びして、ときに粋がって、ときに失敗して、そして傷付いて。それが若さの特権かもしれません。

ボクの音楽武者修行」という一冊の本があります。

若かりし指揮者の小澤征爾氏が、日本を飛び出してヨーロッパへ渡り、スクーターで一人旅をしながら各所を訪れ、現地の人たちに支えられ、フランスのブザンソンで開かれた指揮コンクールで1位を獲得し、音楽家としての人生が開けていく過程が綴られた内容です。

この本を評するならば、みずみずしい精気が溢れ、向こう見ずな若さが、読む者の交感を引き起こす青春の書と言えるでしょう。

もう一度繰り返しますが、若い時代は二度と戻ってきません。

そして、人生が有限で素晴らしいものだとするならば、残された時間の多い若さには価値があると言えるでしょう。

しかし、人の死がいつ訪れるか分からないことを考えると、若いも年寄りもなく、あるのは等しく与えられた今という瞬間だけであるとも言えます。


今を生きる


過去でも未来でもなく、目の前にある今を生きることの大切さを、偉人たちは言葉に残しています。




過去を追うな。未来を願うな。過去はすでに捨てられた。そして未来はまだやって来ない。だから現在のことがらを、それがあるところにおいて観察し、揺るぐことなく動ずることなく、よく見きわめて実践せよ。ただ今日なすべきことを熱心になせ。


釈迦牟尼(仏陀)



昨日は去りました。明日はまだ来ていません。わたしたちにはただ、今日があるのみ。さあ、始めましょう。


Yesterday is gone. Tomorrow has not yet come. We have only today. Let us begin.


マザー・テレサ



過去から学び、今日のために生き、未来に対して希望をもつ。

Learn from yesterday, live for today, hope for tomorrow.

アルベルト・アインシュタイン



肉体が朽ち果てようとするいまわの際の老人も、目の前の今を生きることしかできません。

ただ、老いた人間にはできず、若人だけにしかできないことがあるのも事実です。

特に女性は、子供を産むことのできる期間が限られています。

子供を産むか産まないかや、いつ産むかという問題は、本人とパートナーが決めるべきことですが、妊娠可能な時期が限られていることを知識として持っていなくてはなりません。

しかし、卵子が老化する事実を日本の教育界は教えてこず、排卵があればいつでも子供ができるという誤った知識を持つ国民を増やしました。


生物の定義として挙げられる1つに、自己複製があります。

まるで目的があるかのように生命が自己複製をする理由は分かっていませんが、自分の子孫を次世代に繋ぐことは、我々の遺伝子に刻まれた強烈な使命であり、自分の子供を授かりたいと思うのは自然な感情です。

それが、文化、社会、フェミニズムなどのある種の洗脳により、どんな時でも女性は男性と対等であるべきだ、男性に負けずに女性は社会進出をするべきだ、との言説をいわば強要され、女性にしかできない出産という行為や、子供を持つ選択肢を考えずに生きる女性が増え、気付いたときには遅かったという事例がひと昔前に多く見られました。

このように人は、心によって遺伝子の指令を抑制してしまいます。

だからこそ逆に、人間は心によっても、子供を持てなかったことをプラスに捉えることもできるはずです。

若さを失い、子供を持てなくなった女性たちが、決して自分を卑下することなく、社会に生きる赤ちゃんに優しい眼差しを向けることができるならば、それこそが遺伝子の命令を超えた人間を人間たらしめるものであり、そのような女性は、子供がいようがいまいが魅力的に映ります。


壮年期を過ぎた男性にしても、気力や体力が充実する若者を見たとき、こちらは経験値から来る熟練の技があるのだと、対抗してしまうかもしれません。

また人生の晩年に差し掛かったとき、


あの時、ああしておけばよかった。今もし若ければ、あの時のことをやり直すのに


という想いに駆られてしまうかもしれません。

このように我々は歳を取ったとき、若さに価値があることを思い知らされるかもしれません。

しかし、決して遺伝子や社会の目に惑わされることなく、ときに若い頃の美しい想い出に浸りつつも、そこに完全に逃げ込まず、そして未来を恐れずに、目の前にある与えられた今を感謝しながら、生きていけたらいいですね。


紹介図書


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