2017/05/26

優れた社員の条件とは、アンビバレントな資質・優れた決断力・審美眼を備えていることかもしれませんが…



織田信長
神戸市立博物館



諸説はあるものの、日本の歴史上に彗星の如く現れた織田信長は、中世の人間にも関わらず、神仏の祟りや死後の世界を信じなかったと言われています。

ただしそんな信長が、一度だけ神仏を頼ったことがありました。

それは海道一の弓取り、今川義元に攻め込まれた桶狭間の戦いのときです。

もちろん様々な異論はあるかと思いますが、人物の内面を想像し、自由自在に料理をするのは、後世に生きる歴史ファンの特権ですから、以下は私の推論も含めて話を進めます。

ご存知のように、信長は桶狭間の合戦に勝利し、歴史の表舞台に華々しく登場しました。

その間のいきさつは、信長の家臣であった太田牛一が書き残した「信長公記」に詳しく載っています。

永禄3年(1560)5月、駿河の今川義元が、大軍を率いて尾張の織田領を目指します。

やがて、織田方の砦が今にも今川軍に包囲されるだろうとの報告がもたらされますが、清洲城では軍議らしきものは開かれず、信長も具体的な指示は出さず、雑談をするのみで散会を命じたため、殿の命運もここまでだ、と家臣から見放されることになります。

そして、その日の夜明け、砦が今川軍に囲まれたとの報告が伝えられると、信長は1人で敦盛を舞い始めます。


人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり。一度生を得て、滅せぬ者のあるべきか


信長は敦盛を舞い終えると、


「法螺貝を吹け、具足をよこせ」


と下知を発し、出された甲冑を素早く身にまとうと、立ったまま湯漬を掻き込みます。

そして、愛馬に跨がって城外へ駆けていきました。

この場面は、戦国乱世に生きる27歳の若武者が、自らの運命と対峙し、その只中に飛び込まんとする姿が鮮やかに浮かび上がってきます。

城外へ駆けていった信長を追いかけたのは5騎の家臣だけで、やがて彼らはある場所に到着しました。

そこは熱田神宮であり、続々と家臣が神社に集まったところで、信長は戦勝の願文を奉します。

この行為は、自軍の士気を鼓舞するためであったと思われますが、このとき信長は神を頼りました。

このとき信長は、熱田神宮に鎮座する、草薙神剣を御神体とする天照大神を頼りましたが、後に信長は、敵対する延暦寺や一向一揆など武装する宗教集団を徹底的に弾圧しました。

ここまで織田信長のエピソードを持ち出したのは、もちろん訳があります。

私が言いたいことは、信長が天下統一事業を推し進められた要因の1つに、ときに神仏を活用し、ときに神仏の破壊を厭わない、相反する二つの特徴を兼ね備えていたからだと考えられるのです。

信長は囲碁や将棋にも熱中したそうですが、終了の時間になると、きっぱり対局を止めたと言われています。

熱中はするが、だらだらと延長せずに撤収する。

厳密な対義語ではありませんが、ここにも相反する二つの性格が同居しています。

何かの記事で読んだのですが、Googleに在籍する優秀な社員の特徴は、自分の意見には固執するが、他人の意見が優れていると判断したら、即座にその違う意見を取り入れるというものでした。

つまり、こだわりはあるが、それをあっさり捨て去ることもできるという、相反する2つの特徴が1人の人物に同居しているということです。

この話は、柔軟な思考の持ち主と捉えることができるかもしれませんが少し違います。柔軟性とは、裏を返せば節操のなさですから、自分の意見に固執するということは、柔軟性だけではないことになります。


硬直性と柔軟性が、高いレベルで同居していること


これが、Googleのエピソードから窺える優秀な社員の1つ目の条件になります。

そして二つ目の条件は、


決断力


になります。相手の意見をいったん正しいと判断したら、即座にそれを採用する決断の強さです。

そして三つ目は、これが一番大事ですが、


真実や正しさを見分ける能力、審美眼ならぬ審真眼


とでも言うのでしょうか、これがなくてはなりません。

この判断は、論理よりも直観に依存することが多いように思います。

プロの棋士は、無意識の直観によって浮かんだ手から次の最善手を選ぶように、我々の日常でも、意識の奥で働く直観が多くの判断に使用されていますが、この鍛え方は分かっていません。

理化学研究所が、棋士の脳内で働く直観の仕組みを解明しており、さらには将棋に似たゲームにおいて、素人でも訓練をすることで直観力の向上が可能であることを証明していますが、これには汎用性が欠けており、未知の物事に対する直観力は、どのように向上させたらいいか分かっていないようです。

そもそも、何にでも応用の効く直観力はあるのか、仮にあったとして、それらは一人の人間の中でどのように養われ、また発動されるのでしょうか。

大局観のように、様々な経験や知識を己の中に取り込み、それらを帰納的に体系化したものが瞬時に発動されるのが直観力のような気もしますし、逆に、すべての前提条件や媒介を取り払い、対象に生身で触れられる能力こそが直観力なのかもしれません。

それらはいずれ考察するとして、Googleのエピソードから窺える優れた社員とは、硬直性と柔軟性が同居し、真贋や正誤を嗅ぎ分ける直観力があり、その判断を瞬時に下せる決断力を備えていることが挙げられるのかもしれませんが、完璧な人間などおらず、様々な性格や技術を持つ社員がお互いを補完し合いながら、データを参照して人工知能なども駆使しつつ、最後の意思決定者や社長が腹を括るというやり方で、組織運営を行っていく所存であります。



参考文献 

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