2017/05/20

ラスベガス旅行記 お気に入りのスポットが必ず見つかる観光地




lance87によるPixabayからの画像 



砂漠に誕生した巨大都市・ラスベガスは、誰にとってもお気に入りのスポットが見つかる観光地だと思います。

そんな一大エンターテイメントの街・ラスベガスに何度か訪れた筆者が、様々な逸話を交えながらその魅力を記し、またそこで遭遇したアメリカ文化との衝突についても書き記します。

私がラスベガスに興味を持ったきっかけは、恐らく高校生の時で、もう時効になりますが、当時仲間内では賭けトランプが流行っていました。

街中どこにでもあるパチンコ屋に皆で行くようになると、ギャンブルに対するハードルが下がってしまい、大した金額ではありませんでしたが、トランプも行うようになりました。

そのトランプで1番人気があったのは、ブラックジャック(Blackjack)でした。





englishlikeanativeによるPixabayからの画像 


ブラックジャックのルールを簡単に説明すると、まずこのゲームは、親のディーラーと子のプレイヤーが数の大小を競うもので、初めに両者へ2枚のカードが配られます。

エースは1もしくは11として数え、絵札はすべて10として数え、合計の数が21であれば一番強く、一枚だけ見えている相手の手札から強さを想像し、手持ちの2枚でストップするもよし、3枚目、4枚目とカードをめくることもできますが、21を越えるとドボンになります。

この中で1番強い手は、初めに配られた2枚がエースと10の場合であり、これをナチュラル・ブラックジャックと呼びます。

私たちは独自のルールを作り、手持ちの2枚から、3枚目、4枚目、5枚目とカードを引いて21以内であれば、それをファイブと呼び最強の手として遊んでいました。


そんな環境で育った私が、ギャンブルの本番ラスベガスに興味を抱くのは必然の流れでした。

そして大学生のとき、ついに念願のラスベガスへ同級生と訪れました。

その後何度か訪れることになったラスベガスですが、初めての旅行は新鮮でした。

夕方ロサンゼルスからのフライトでマッカラン国際空港に到着し、乗り合いバンでホテルに到着すると、早速ホテルのカジノでブラックジャックを始めました。

時間が過ぎるのも忘れ、ブラックジャックなどカジノを楽しみましたが、翌日は朝早くからレンタカーを借り、グランドキャニオンからモニュメントバレーへの行程を組んでいたため早めに就寝しました。

レンタカーは事前に日本で予約しました。現地で借りた場所や車種は記憶にないのですが、アメ車のフォードだったことは覚えています。

慣れない右側通行や左ハンドルで大分戸惑いましたが、人間の順応性とは見事なもので、運転は次第に慣れていきました。

しかし、少しでも気を許して無意識の状態に陥ると、左側を走行していることがあったので、常に気を使いながら、また「ありがとう」のハザードランプだけは点灯させないように注意し、グランドキャニオンのサウスリムを目指しました。


寄り道をしつつ、迷子も楽しみながらサウスリムに到着し、景色を眺めたあと、モニュメントバレーへと向かいました。

そしてその途中で偶然通りかかり、下車して見たイーストリムからの落日に染まる壮大な峡谷は、サウスリムとは違った景色で鮮明な記憶として焼きついています。




Lipan Point Sunset

撮影者 Anita Ritenour(Flickr)



陽が完全に落ちると、街灯がないために辺りは真っ暗になりました。

それでも目的地までの距離はかなりあるので、暗黒の荒野を切り裂くように、ひたすら車を走らせました。

しばらくしてモーテルを見つけ、しばしの休息と睡眠を取り、翌朝は早く起きて出発しました。

向かう先のモニュメントバレーは、映像や画像で何度か目にしたことがあったので、いつ出てくるか期待しながら車を走らせていましたが、辺りには突然霧が立ち込めてきました。

全く周りが見えない中で、どうにか進んでいくと、霧の中から見え隠れするモニュメントバレーが現れました。

眼前に突如現れる光景を想像していましたが、霧にけぶるモニュメントバレーも、それはそれで幻想的でした。

到着した現地は霧が晴れており、歳月に浸食された独特な岩が我々を待ち構えていました。






FilioによるPixabayからの画像 



早速、ナバホの係員によるトラックで、辺り一帯を案内してもらいました。


数時間後に案内を終え、そこからまたラスベガスに車で戻りました。

翌日からは、メインのストリップ通りで、カジノだけでなく街を探索しながら楽しみました。

ストリップ通りの小さな一角で行えるブラックジャックは、レートが低く、お客さんに有利なルールがあったりと、ホテルのカジノとは少し趣が違いました。

そして、最終日の前日にダウンタウンへ向かいました。

お目当ては、フリーモント・ストリート・エクスペリエンスと呼ばれる歩行者天国で、内実は単にアーケードのある商店街なのですが、アーケード内の天井には無数の電球が施され、大音響と共に様々な絵図が入れ替わり流れていき、観光客の目を楽しませてくれました。





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商店街には、カジノ、ホテル、レストラン、お土産屋などがあり、多くの人でごった返しており、そして事件はお土産物屋に入ったときに起こりました。

私は辺りを物色しながらウロウロした後、飲み物を手に取り、レジの列に並びました。

列は思いのほか長く、私の前に並んでいた中年の白人男性は、しきりに前を覗いていました。

その男性はカウボーイハットを被り、隣にいる奥さんとおぼしき女性と腕を組み、手には缶ビールを持っていました。


「ねえトム、この列長いわね」

「そうだなソフィア」



二人は会話をしていましたが、早口の英語は聞き取れず、私の脳内では、このように変換されていました。


「この長い列はなんとかならないのかいハニー」

「でもねトム、そんなこと言っても仕方ないわよ」


こんな会話も聞こえてきて、トムは少し苛立っているようでした。

そして次の瞬間、何を思ったのかトムは、缶ビールをプシューと開け、勢いよく飲み始めたのです。



まだ会計をしていないにも関わらず……


トムは缶ビールを一気に飲み干し、隣のソフィアと眼を合わせました。


「イカすわねトム」

「なーに、それほどでもないさ」


こんな会話が聞こえてきましたが、日本代表の私は呆気にとられてしまいました。

その後トムは、平然とした態度で空の缶ビールをレジに差し出し、何かしらの言葉を店員と交わし、ソフィアと共に去って行きました。


「ま、まけた……」


私は男として負けを感じ、敗北感に打ちのめされていました。

喉が渇いているのは私も同じでしたが、そのような軽い乗りは日本にはなく、また日本であれば、恐らく気まずくなったり、注意されるかもしれません。もしかしたらトムは酔っていたのかもしれませんが、隣のソフィアも何ら悪びれる様子はなく、さらにはレジの店員さえも普通に応対していたことに、私は衝撃を受けました。

ここで、日本の文化で育った日本人としての私は、完膚なきまでに叩きのめされました。

店を出るとまだ余韻が残っていましたが、私はあるものを発見したことに気がつきました。


それは何か?


それは、己の中に存在する強烈な日本の精神と、その対極に位置するアメリカの精神に感銘する二つの自己を見いだしていたのです。

震災時に、倒壊したコンビニのレジの前で整然と並び、海外から称賛を受けた日本の精神を私も備えており、また、列をものともしないトムの振る舞いに感銘を受ける自分も、そこにいたのです。

ところで、私はトムをアメリカ人と決めつけましたが、確かな証拠はありません。

カウボーイハットを被っていたので、テキサスあたりの南部から旅行で来たのだろうと判断しました
が、とりあえずアメリカ人にしておきましょう。

このように異文化に触れ、自分の拠り所を確認すると共に、相手の特質をも呑み込んで新たな自己を創造することは、成長には欠かせません。

対立概念をぶつけ合い、その対立を高い次元で統合するアウフヘーベン(止揚)した自己を生み出すと言えるのかもしれません。

ところが、今世界はグローバル化が急速に進展し、多様性がどんどんなくなっています。


世界中の誰もがFacebookやTwitterをし、洋服を着て、ファーストフードや寿司を食べています。


もちろん私も該当します。

このグローバル化は、相手の特質を取り込んで自らの文化に引き入れた結果と考えることもできますが、行動様式が同じようになれば、やがては思考様式も同化していくことでしょう。

雄と雌が出現した有性生殖の誕生は、日々変化するウイルスのような寄生者に対し、多様性を持って対抗するために産み出されたとするならば、人類の画一化は、歴史の必然だとしても危機として捉えることができます。


かつて地球上の支配者であった恐竜非鳥類型は、約1億6千万年も栄えていたにも関わらず、隕石の衝突などの理由で絶滅してしまいました。

人類は誕生してからまだ約700万年しか経っておらず、その20倍以上もの期間を生き、繁栄を謳歌した恐竜が滅びたのですから、人間も画一化が進めば、ある危機的な状況が起きたとき、変化に対応できずに絶滅する可能性はあるでしょう。

「宇宙からの帰還」に登場するある宇宙飛行士は、人類が宇宙に進出するのは、画一化を防ぎ、多様性を確保するためでもあるだろうと語っているのは興味深いところです。

つまり、人類が宇宙に進出して暮らすようになれば、そこで産まれた人間は、環境の違いから地球人と少しずつ変化していきます。

それが幾世代か経ると、生物の異所的種分化のように、地球の人間と交配ができなくなる新たな人類が誕生するでしょう。

話が少し逸れてしまいましたが、異文化と出会い、そして衝突し、自分の拠り所を確認すると共に、自分にないものを感じ取ること。そして、その特質を排除するのではなく、貪欲に取り込もうとする態度が、人間の成長には不可欠だと思います。

ヨーロッパが科学や哲学を発展させた理由として、狭くて肥沃ではない土地に様々な人種がひしめき合い、争いを繰り返してきたからだとすると、異文化との衝突は、積極的に行うべきなのかもしれません。

ということで、ラスベガス旅行記から話が逸れてしまいましたが、ラスベガスは私にとって想い入れのある観光場所で、様々な経験をしました。

今回のウイルス騒動で悪者にされたコロナビールも、カジノでコロナをお願いします、としっかり発音したものの、コロナビールではなく炭酸飲料のコーラを持ってきてくれて、

「アメリカじゃ、コーラじゃなくコークよ❤」

と日本人である私に気を使ってくれたバニーガールとのやり取りも、懐かしい想い出です。

いつかまた時間があれば、新しいスポットを見つけるために訪れてみたいです。


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