2017/02/09

宗教がテーマの小説「沈黙」 クリスチャン作家・遠藤周作氏の代表作




絵踏(踏み絵) 


宗教を題材にした小説「沈黙」は、クリスチャンであった遠藤周作氏の代表作ですが、初めて読んだとき、主人公のポルトガル人司祭・ロドリゴに共感できず、本を閉じてしまいました。

その理由は、弾圧が激しさを増す日本へと、死を賭してまで渡ってくる理由が分かりにくく、また、宗教のために死ぬという殉教の行為が実感として理解できなかったからでした。

しかしその後、イエス・キリスト受難の物語や、イエスの弟子である12使徒が、キリスト教を世界に広めていく過程で受けた迫害と殉教の歴史を詳しく調べ、また時代時代の殉教者を色々と知るうちに、おぼろげながら殉教の意味が分かるようになりました。

そのとき理解の助けになったのは、遠藤氏の別の書である、イエスの生涯キリストの誕生でした。

そこに描かれていたのは、神の子・イエスではなく、弱者に寄り添い、惜しみない愛を注ぐ一人の人間の姿でした。

そしてそのイエスの最期は、か弱き者たちの永遠の同伴者になるため、罵声と嘲笑を群衆から浴びながら、磔(はりつけ)にされて死んでいきました。

槍で刺し殺される磔刑という結果になったのも、自分を裏切った弟子逹たちが原因でしたが、そんな弟子たちをも、愛で包み込もうとした人間がそこには描かれていました。

そんな心優しい師イエスを見たことで、弱虫で裏切り者だった弟子たちが強い心を獲得し、殉教も辞さない強い使徒に改心していきます。

また、新約聖書・ヨハネによる福音書・第15章13節にある、



人が友のために自分の命を捨てること、これ以上の大きな愛はない。

There is no greater love than to lay down one's life for one's friends.


といった言葉や、ドイツの作曲家・大バッハが、イエス受難に基づいて奏でた、

「マタイ受難曲」

といった荘厳な調べも耳にしました。

これらを勘案すると、キリスト教にとっての殉教という行為が少しだけ見えてきます。

そして、中世のキリシタンたちは、殉教はパライソ(天国)への道であり、天国に行けば永遠の生命を獲得できると信じていました。

そのため、多くの信者が過酷な拷問に耐え、さらには死を受け入れることができたとの歴史的背景を整理した上で、もう一度本書を読んでみると、すんなり物語に入ることができました。

その小説「沈黙」の舞台は1638年の日本であり、島原の乱(島原・天草一揆)が起きた後のため、キリシタンへの弾圧は激しさを増しています。

そして主人公の司祭・ロドリゴは、布教のため日本に向かったかつての師フェレイラが、烈しい拷問のすえ棄教したとの噂を聞きます。

その真実を確かめるべく、また、日本にいる迷える信者たちを救うため、殉教も覚悟の上で、ポルトガルからマカオ経由で日本へと向かいます。

そのお供をするのが、キーマンとなる弱き男キチジローです。

我々と同じように弱い心を持ち、拷問に怯えて棄教したキチジローを、イエスを裏切ったユダに見立て、一方でロドリゴをイエスと対比させ、信仰に情熱を燃やし、司祭という職に誇りを持つプライドの高い男として描いています。

ロドリゴは弾圧の激しい日本の地で、逃亡しながら潜伏を続けるも、結局捕らえられ投獄されてしまいます。

本書には、それらの道程で主人公に引き起こされる、内面の葛藤や苦悩が細部に渡って描写されています。

是非オススメです。



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