2020/02/22

中学受験の失敗から学んだこと




canvaより


これから日本は少子化が進行し、超高齢化社会に突入します。

そんな状況にも関わらず、一部では中学受験が加熱しているようです。

テレビで放映された、ジャガー横田さんの長男・木下大維志君の受験奮闘記が人気を博したように、お受験は興味の的になる題材であることは間違いないようです。

中学受験とは、多くの私立中学を抱える首都圏が主ですが、一部の地方都市にも存在しています。

そんなある地方都市に育った私も、図らずも巻き込まれました。

ただ受けたのは国立大学の附属中学一校だけでしたが、本記事は、そのたわいもない顛末を書き記したものです。

この私のつまらない体験が、未来を生きる子供たちや、親御さんたちに何らかの気付きを引き出したならば、ここに書き残した意味も出てくるかもしれません。

まず、私が中学受験をしたきっかけですが、これがいまいちはっきりしないのです。むしろ、この動機こそが一番大事なはずですが、よく覚えていません。

母親に促されるままに、というのが真相だと思われますが、私本人もやると言ったのでしょう。

ただし一校だけだったのは、地方は地元の国立大学のネームバリューが高いというのもそうですが、兄が中学受験を執拗に拒絶したらしく、そのため、母親が手を変えて繰り出してきた案だったのかもしれません。

そんなわけで、小学校六年のある日から、参考書と格闘する日々が始まりました。

当時私は、小学校一年から続けていたサッカーを様々な理由からやめていたのですが、運動しかしていなかった少年が机にじっと座り、勉強することとなりました。

正直勉強はまったく面白くなく、参考書を放り出し、家にあった伝記本を読み耽っていました。

ただ、模試や講習に通う塾は隣町の繁華街にあったため、バスと電車を乗り継いで一人で向かうのは、旅行のようでもあり楽しい一時でした。

授業もあまり理解できませんでしたが、そこでは自分の解けない問題をスラスラと解く、今まで見たこともない同級生と知り合い、刺激になったことは確かでした。

また、新しい熟語や慣用句を知ることも新鮮でしたが、それでもやはり、算数の特に食塩の濃度に関する問題などは全く面白くなく、このときの苦手意識が、後の数学嫌いへと向かわせたのかもしれません。

大学生となり、アルバイトで家庭教師をしていて食塩水の問題が出てきたときは、「これを解かないと将来なりたい職業に就けないぞ」などと言って煙に巻いていましたが、この食塩水の問題と実社会との関わりを見いだすことはできず、また興味を持たせるような教え方もできませんでした。

勉強終了後に、教え子と一緒にスーパーファミコンのスト2などで遊んでいるときも、

「正直こっちの方が面白いよな」

と曲がりなりにも先生と呼ばれていた人間が、口走ってはいけないことを言っていました。

ただそれでも、私も学校の授業内容より、正直FFやドラクエで夢中になって遊んだことの方が印象に残っていますし、FFⅢで「たまねぎ剣士」最強の武器・オニオンソードを手に入れられなかった悔しさの方が私の記憶には残っています。

このような想いは、多くの少年少女が共有していることかもしれず、私に関して言えば、後に読書によって開眼する学問の面白さと比べると、学校の授業や受験勉強は興味の湧く内容ではありませんでした。

ただそれでも中学受験は投げ出さず、試験自体は受けましたが、当然のように合格することはできませんでした。

面接もあり、何を話したか覚えていませんが、終わった後はようやく解放されたぐらいにしか思わず、落ちた結果が判明しても何の感情も湧きませんでした。

それらを踏まえ、私が中学受験を経験して学んだことは、勉強をしているよりも活字を読んでいる方が面白いということと、一生懸命やらなければ意味がないということ、人生の手綱は自分で握らなくてはならないことなどでした。

どっちつかずの中途半端が一番良くなく、やると決めたからには頑張って努力することが、何を目指すにしても大事なことだとは思います。

年端もいかない小学生が親の決定権から逃れることはできず、またそれは未成年であるが故に、子供の意思が制限される部分はあるものの、もしやると決めたら、それに向かって頑張ってください。


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