2017/12/24

東大理三の知性を佐藤亮子さんの勉強方法と言葉から紐解く エリート今昔比較






1 注目を浴びる東大生の母親・佐藤亮子さん


最近とある母親が脚光を浴びています。

それは、自分の子供4人全員を、東京大学理科三類に入学させた佐藤亮子さんです。

今まで、子供全員を東大や京大に入れた親御さんの本はありましたが、日本の偏差値最高峰の東大理三となると初めてであり、俄然その教育方法に注目が集まっています。

否が応でも学力偏差値で測られる生徒だけでなく、偏差値の高い大学に子供を入れることが、本人の幸せに繋がると考えている多くの親にとっても、無視できない彼女の一連の書籍です。

ただ、内容は随分親の手が掛かっており、管理のしすぎであるとか、子供の意志はあるのかとか、親の自己満足に過ぎないとか、お金がなければできないとか、大学の入学がゴールなのかなどの批判が出ています。



2 東大の理三すらマニュアルで合格できることの意味


私が本を読んで真っ先に感じたことは、東大の理三ですらマニュアルに従えば合格できてしまう恐ろしさです。

もちろん、賢い両親から生まれた遺伝によるものとの見方もありますが、たとえ同じ兄弟でも、配偶子を形成する過程の減数分裂期に遺伝子の組換えがあるため、能力や性格は当然違い、友達などの環境や性別すらも違う四人が四人とも合格しているのですから、親、塾、進学校の指導方針の結果と考えるべきでしょう。


そして佐藤ママは、もう一人子供がいても理Ⅲに合格させられると豪語しており、このことは、東大の理三ですら、親や本人の並々ならぬ努力が必要とはいえ、マニュアルで対応できることが証明されたようなものです。

その勉強という努力により、能力が開発された可能性も否定できませんが、大それたことはしておらず、「勉強のストレスは勉強でしか発散できない」といった言葉から分かるように、ただ厳しく勉強を管理しているだけで、答えそのものや解答方法を覚えるだけでは、せいぜいペーパーテストに対応する能力ぐらいしか磨けないでしょう。

著書の中にも、


私は傾向が変わったという言葉を許しませんでした。


とあり、いくら受験勉強をしたところで、傾向が変わってパターンの知らない問題に出くわせば、対応できなかったことを如実に示しています。

また著者ご本人も、その事をよく認識していることが以下の文章から分かります。


本来、大学や学校が変える程度の傾向なんて、想定内でなければならないはずです。本当に基礎から応用まで丁寧にやっていたら、どんな問題がきても打ち返せるはずですから。


引用 「灘→東大理Ⅲ」の3兄弟を育てた母の秀才の育て方 P268 佐藤亮子 角川書店


言ってみれば日本の大学受験が、何ら発想力や創造性を必要としない試験を実施している証左でもあります。


3 1冊の本が提示する学校教育と優等生の問題点


「思考の整理学(ちくま文庫)」という一冊の本があります。

学校とは、自力で飛べないグライダー型の人間を養成する場所であり、成績が良く、グライダーとしては一流の学生ほど、論文など自分の頭で考えて何かを生み出すのが不得手であると看破した書籍です。

この本が東大や京大で売れているという事実は、それを自覚している学生が多いという表れなのかは分かりませんが、本書は、お互いがグライダーばかりになれば、グライダーとしての欠点が見えなくなるとも断言しています。

戦後の日本が、なぜこのような教育機関と受験システムを生み出してしまったかは、まさに本書に記載の通り、根本にあるのは、知識は西洋から習得するものであって自国で産み出すものではないという、特に明治維新以降における我が国の科学技術の摂取の仕方にあり、そこに、戦後の高度成長期に伴う大量生産・大量消費社会が到来したことで、決められたことをそつなくこなす人間が求められたことによるものでしょう。


4 戦後の日本を決定付けたGHQの思惑


このような歴史的・時代的背景がありましたが、そこには間違いなくGHQの思惑も存在していました。

船井総研を創業した船井幸雄氏は、戦後アメリカの役人から、日本に天才を生まないようにすると言われたそうですが、旧制高校を廃止し、勉強を暗記に特化させ、考える人間を生み出さないように学制を改革したGHQは、その通りのことを実施しました。


5 読書をしていた昔のエリートたち


昔のエリートと言われる旧制高校の学生たちは、今の学生たちが受験勉強をしているような間に、多くの本を読んでいました。

それは、単なる断片的な知識ではなく、統計的に導き出された著者の考えを追体験していくような読書です。

もちろん細切れの情報であっても、初めて知ることで対象に興味を持つこともあり、自分が知らない事柄に気付くことは大切です。

しかし最も大事なのは、その情報の背後にある成立過程であったり、現実社会との関わりであり、まさに断片的な知識を追い求めることは、受験勉強のように手段が目的化してしまいます。

それこそ昔のエリートのように、興味の赴くまま読書の対象を掘り下げていくことで、断片的な知識は勝手に身につくものであり、また昔のエリートたちは、読書の中で物事の背景を自分の中に落とし込み、そこから得た様々な知識を用い、普遍的な事実を導き出すような帰納的な思考の訓練を行なっていたと言われます。


6 フィールズ賞の受賞者・広中平祐氏の言葉から見えてくるもの


そのことは、数学界最高の名誉・フィールズ賞を受賞した広中平祐氏の言葉からも良く分かります。

広中さんは、代数幾何学の大問題と言われた「特異点解消の定理」で賞を獲得しましたが、この特異点を解消することは、仏の世界へ到達し、人が現世で囚われている数々の煩悩を解消することと同じである。この定理の発見は、仏の世界の影である人の世の因果律を見つけることだと感じたと語っています。

このような数学と仏教という全く異なる分野で共通項を見いだすことは、コンピューターが苦手とする人間特有の思考ですが、戦後の日本の教育は、こういった考えることを軽視し、答えの決まった問題を解くことだけに注力してきました。

メディアはこのような事実を無視し、偏差値の是非を論ずることもせず、ましてや煽り立て、多くの日本人が高い偏差値を優秀さの指標だと勘違いし、そこに価値を見いだす者と、劣等感を抱える者を生み出している現状は、日本の将来にとって何ら生産的ではありません。

答えのあるテストは公平だという人もいるかもしれませんが、世の中は公平ではなく、人生にも答えはなく、問題も自分で見つけていかなければなりません。


7 有性生殖や生死に繋がる恋愛は無駄なのか?


佐藤亮子さんは「受験に恋愛は無駄」と語り、多くの批判を浴びることとなりましたが、異性に抱いた恋心をどのように対処し、どのように好意を伝え、どうしたら振り向いて貰えるかといった問題に正解はなく、それこそ創意工夫や試行錯誤が求められ、答えのない問いに対する自分なりの解が求められます。

また、恋愛とは有性生殖に繋がるものであり、生殖とは文字通り生に関することであり、医学と密接に関わっているはずです。

医学部を卒業した漫画家・手塚治虫氏の不朽の名作「ブラック・ジャック」が人気の理由は、メス捌きを描いているからではなく人間を描いているからです。

そして、恋愛とはそのまま人間ドラマに繋がるものであり、恋愛、セックス、結婚は人間の重大な関心事なだけでなく、有性生殖で自己複製を行う生物にとっても重要な問題です。

このような事実を無視し、「受験に恋愛は無駄」とまで言い切り、パターンの暗記でしかない受験勉強に向かわせる態度は、疑問符が付くだけでなく文化的とは言えません。

確かに、恋愛をしていたら受験勉強など手につきませんが、筆記試験一辺倒で合格した医師が敬遠され、コミュニュケーション力や人間味が必要だとの認識が世間で高まったからこそ、医学部試験に面接が導入されたことを考えれば、むしろ受験時代にこそ恋心を抱く経験が必要でしょう。


8 横浜市立大学が社会に問い掛けた小論文の問題


現代ビジネスが記事として取り上げていますが、横浜市立大学・医学部医学科では、二次の小論文試験で以下のような興味深い問題が出されています。

その問いをHPから引用します。


【問題】
あなたは高校の教師である。ある日、授業の一環として稲刈りの体験作業があり、僻地の農家に田植えの体験授業に生徒を連れて出かけた。稲刈りの体験作業の後、農家のおばあさんがクラスの生徒全員におにぎりを握ってくれた。しかし、多くの生徒は他人の握ったおにぎりは食べられないと、たくさん残してしまった。

[問1]

あなたは、おにぎりを食べられない生徒に対しどのように指導しますか。

[問2]

あなたはこの事実をおばあさんにどのように話しますか。

(2019年 横浜市立大学 医学部医学科小論文試験 改題)


引用 現代ビジネス 医学部入試で出た「他人のおにぎり問題」あなたはどう答えますか?


この問題に正解はなく、人間心理に対する自分なりの解が求められており、このような患者との応対に直結する心の問題は、従来の問題集を解いていても答えは出てきません。

そしてまた、社会で起きる悩みやトラブルの多くが人間関係であることを考えれば、この問いを多くの人が今までと趣向が違うと認識している時点で、学校の勉強が現実社会と乖離していることの証左でもあるでしょう。

学問の柱である真理の探究とは、純粋な数学のように現実社会と隔絶しているケースもありますが、その数式を追い求める人間は現実社会に立脚しており、また物理やAIなどに応用される数式の多さを考えれば、真理そのものも現実社会と密接に交わっているはずです。


9 東大理三に合格するメリットを考えてみる


そもそものところ、東大の理三に合格するメリットはあるのかを考えてみます。

本に登場するお子さんたちは、四人全員が自ら医学の道を選んだとされ、そうであれば静かに見守るべきだと思いますが、人間精神の降り幅とは、そのように収まるものなのでしょうか?

もし本人たちが、親の期待に応えるために駆り立てられ、心の奥底では望んでいなかったとしても、一応理三へ入学するメリットを挙げてみます。



  • 世間的にブランド力のある東京大学理科三類に入学した肩書きを得られる

  • これ以上ない成功体験を得られ、自信がつく

  • 親を喜ばせてあげられる

  • 同年代という限定された中ですが、一部に存在する本当に優秀な学生と知り合いになれる

  • 食いっぱぐれがなく、合格率の高い医師免許を得る道ができる


どれもがデメリットになりうる表裏一体のものですが、一応メリットとして考えます。

他にも、大人になってから医者になりたいと願っても、厳しい受験競争から始めなくてはならず、入学してからも六年と講義を受ける必要があり、時間や金銭を含めて難しいことは間違いなく、人生における選択の幅を広げる意味でも、子供に医学部入学を勧めるのは間違いではないという論法も成り立ちはします。

人を医学によって救うことは、崇高な目的であることも間違いないでしょう。

多大な犠牲を払ってでも、与えられた枠内といえども、偏差値最高峰に挑戦する価値があるのかもしれません。


10 ニュートンのリンゴの逸話から得られる示唆


ただその場合でも、なぜ日本には偏差値が存在し、なぜ医学部の偏差値が高く、なぜ医師の資格が守られ、そもそも西洋医学とは誰がどのように確立したのかを、通り一辺の解答ではなく、その裏に隠された本質を踏まえておく必要があるのではないでしょうか。

それは、木からリンゴが落ちるのを見たニュートンが、万有引力の法則に導かれたように、ありのままの事実をそのまま受け入れるのではなく、物事を深く考察し、本質を洞察できる生徒こそが、これからの時代に求められるのではないでしょうか。


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