2017/10/29

外部環境の変化に対する適応力を身につける方法  





平家物語 下村本

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音楽を聴く環境は、レコード、カセットテープ、CD、MD、ハードディスク、そしてWEB上へと変化していきました。

今の状況を昭和の時代に予測できた人はほぼいないはずですが、社会は常に変化しており、従来のやり方に固執していれば、あっという間に取り残されてしまいます。

音楽を聴く側であれば構いませんが、楽曲をユーザーに提供し、お金を稼ぐ手段とする場合、現在CDの販売だけを行う業者は存在していないはずです。

現代の若者にとって、音楽とはネットを通して聞くのが当たり前であり、その環境も、かつてはプレイヤーに曲を落とすダウンロードが主流でしたが、いまは大容量のデータ送信環境が整い、ストリーミングに取って代わられており、特典などを除けば、CDを購入する行為に食指が動くことはないでしょう。

このような、技術の進展に伴う消費者の変化に、供給側は追い付いていけなければ生き残れません。

進化の歴史を鑑みても、今現存している種というのは、環境の変化に対し、今までのあり方を変え、自らを変化してきたからこそ生き残れています。

雄と雌が必要となる有性生殖も、ウイルスなど常に形を変えて忍び寄る寄生者に対し、遺伝子を組み換えることで、自らも変化して対抗するために誕生したと考えられています。

外部環境の変化だけでなく、熱力学第二法則によれば、全てのものは秩序から無秩序に向かい、崩壊という変化へ進んでいきます。


諸行無常(しょぎょうむじょう) 


世の中に存在する全ての事物は、絶えず変化し続け、生滅する。


この仏教の根本思想を、日本では学校の授業で習い、我々は多少理解しています。


祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす おごれる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし たけき者も遂にはほろびぬ ひとへに風の前の塵に同じ


ぎおんしょうじゃのかねのこえ しょぎょうむじょうのひびきあり しゃらそうじゅのはなのいろ じょうしゃひっすいのことわりをあらわす おごれるひともひさしからず ただはるのよのゆめのごとし たけきものもついにはほろびぬ ひとえにかぜのまえのちりにおなじ



これは平家物語の冒頭ですが、暗記して諳(そら)んじることができる人もいるはずで、「驕る平家は久しからず」という言葉があるように、我々は平家の滅亡から、永久不変なものは存在しないことを学び取ります。

また宇宙も例外ではなく、熱的死という終焉を迎えるとも言われています。

ただしその場合、宇宙の生滅を司る本体だけは、人間の認識論が及ばない永遠と言えるでしょう。

このように日々変化していくものに対し、個体や組織は柔軟な対応を求められますが、言うは易く行うは難くの典型です。

その理由は、当人にとって現状の方法とは、ベストではないにしろベターであり、それを今すぐにでも捨て去らなければならないパラダイムシフト(劇的な価値観の変化)は、そうそう訪れないからです。

革命のような乱世は稀(まれ)にしか起こらず、変化というものは、大抵ゆったりと進行していきます。

冒頭の平家物語の画像は、安土桃山から江戸時代の慶長年間に印刷された本であり、400年後に生きる現代の日本人に読むことはできませんが、自分の生存中に、今使われている日本語が読めなくなる程の変化は起きないでしょう。

例えば異民族に支配され、他言語を押し付けられるような大転換が起これば話は別ですが、これから日本語が変化をしていくとしても、それは緩やかに行われていくはずです。

戦後の1949年に、漢字の使用が旧字体から新字体へ変更されており、この告示はGHQの指示であり、過去の日本文化との断絶の意味合いも含まれ、異民族の占領下というパラダイムシフトに関連したものですが、藝術(芸術)といった今でも使用されている旧字体もあり、国民に気付かれないための周到な意図がGHQにあったとしても、変化は徐々に浸透していきました。

企業における市場の変化というものは、文字の変化よりもスパンは短いですが、それでも緩やかのため変化に気付かない場合や、気付いたとしても変化への適応を躊躇してしまい、過去のやり方を抱えたまま危機に陥っていくケースも多いでしょう。

特に、組織が大きかったり、意思決定までの過程が複雑だったり、現在の環境に適応しすぎていたり、成功体験が大きかったりすると顕著に表れてきますが、個人にも当然あてはまります。

このことは、茹でガエルの話を用いて説明されます。

一匹の蛙を熱湯に入れると、熱さに驚いてすぐ飛び出しますが、冷水に入れて徐々に温度を上げていくと、熱湯になったとき気付かずに死んでしまうというものです。

この話は信憑性に欠けるそうですが、世の中の現象を上手く表しています。

先ほど見てきた文字の変化もそうですが、CDからWEB上にシフトしてきた音楽を聞く環境も、変化は緩やかに進行していきました。

では、どうしたら成功体験や従来のやり方を捨て去り、変化に適応していくことができるかを考察してみたいと思います。

ただ、システムを変えれば当然バグが発生する可能性が高まるため、生物でも企業でも、基本は必要がなければ変化を望まず、保守的です。

音楽を例にとれば、WEBで聞く方法が登場した当初、CDで成功している業者であれば、資源を集中させる観点からも、WEBで出す必要性は低かったでしょう。

個人でも、上手く機能している日常生活を、敢えて変える必要性はありません。

しかし、現在は科学技術が目覚ましく進展しています。

人間の脳信号をコンピューターに移植し、永遠の生命を得るといった話が真剣に語られ始めている現代において、いつどんなパラダイムシフトが起こるか分からず、常に自らを変える心構えはしておいたほうがよさそうです。

そのためには、現状を的確に把握する分析力、将来を見据える洞察力、チャレンジ精神や失敗を恐れない勇気などが必要かもしれませんが、そのような大げさな言葉ではなく、簡単にできることを行っていけばいいと思います。

例えば、通勤経路を変えてみるとか、通勤時間を変えてみるとか、ニュースの視聴方法を変えてみるとか、ドレッシングを変えてみるとか、ほんの些細(ささい)な変化を意識的に繰り返し、それらを積み重ねることで、変化への適応能力を養っていけるのではないかと思います。

私事ですが、先日、冷やっこ(豆腐)を食べようとしたら、チューブの生姜がなかったので、代わりにチューブのにんにくを入れてみました。

味はまあ食べれなくもないかという具合でしたが、生姜がたまたまなかったため、代替えのスパイスを探す必要に迫られてニンニクを入れる行為が発生したように、人間はきっかけがなければ大概同じことを継続します。

そのような自分の内に潜む習性を意識し、普段から何かしらの方法を変えていくことで、惰性に陥る危険性も回避でき、変化に適応できる人間になっていけるのではないかと思います。

前例踏襲が悪い意味で用いられ、トヨタのカイゼンが世界で広く知られているように、変化は日々求められますが、大人になると今までの方法がこびりつき、柔軟性に欠けてしまうことは確かです。

変えるものと変えないもの、変わるものと変わらないもの、ここを区別する軸を持ちつつ、あくせくしながらも、我々は生きていかなければならないでしょう。

ニンニクについての後日談になりますが、毎日のように冷奴(豆腐)を食べるようになってから、醤油に薬味の生姜というパターンだけでなく、様々なバリエーションで冷奴を食べるようになり、再びニンニク醤油で食べたところ、とても美味しく感じられました。にんにく自体は当初のものとは違うものの、この感じ方の大きな変化は、自分の中の変化に対する意識の違いが関係しているように思われます。

もちろん、にんにくそのものの違い、にんにくの量の違い、醤油そのものの違い、豆腐そのものの違い、器などの視覚情報の違い、他の料理や飲みものなどとの組み合わせの違い、趣味嗜好の変化、体調の違いなども関係していると思われますが、冷奴にはまず生姜と醤油という固定観念が自分の中で崩れ、違うものも試してみよう、そういえばあのような食べ方もあった、といったように、冷奴の食べ方に対し、変化への心構えや変化への積極性が自分の中に生まれていたことが大きいように思えます。

今では、江戸時代の豆腐の料理本「豆腐百珍」にならい、現代版冷ややっこ豆腐百珍でも考案してみようかなどと考えるぐらいにまでなりました。

この意識が冷奴だけでなく違う方面にも向かえば、変化に対する適応力も身についていくのかもしれません。

ということで、変化する外部環境に対し、適応する能力を身に着ける方法は、当たり前のように行っている日常の行動や動作を、少しずつ意識して変えてみることから始まるのではないでしょうか。


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