2017/08/20

常識の否定についてアインシュタインの教育に関する名言から考察します



Mohamed NuzrathによるPixabayからの画像 



知の巨人・アインシュタインの名言は数々ありますが、教育に関するものもいくつか残しています。

その中で有名な言葉に、



常識とは、18歳までに獲得した偏見の集まりである。

Common sense is the collection of prejudices acquired by age eighteen.



というものがあります。

常識が偏見だということはつまり、常識とは自分に身についた偏った考え方だということです。

やみくもに常識や権威を否定するのはお勧めできませんが、常識や権威というのは、時代の潮流なだけですから、真理のような不変なものとは違い、時代が変われば同じように変わり、文化が違っても変わるものです。

日本の社会においても、


勉強して有名大学に入り、大企業に正社員として勤め、結婚して子供を二人ぐらい産み、35年ローンを組んで新築の住宅を買い、定年退職まで出世を目指してがむしゃらに働く


この従来理想とされていた常識は崩れ去ろうとしています。

いやとっくに崩壊していると言っていいでしょう。


この流れは、日本に極端な市場原理を導入した、小泉純一郎元総理大臣によって推し進められました。


若者の給料が上がらない、結婚ができない、子供を産み育てられないと言われる状況は、パソナといった派遣会社が、非正規社員や派遣社員に本来渡るべきお金をピンハネしてきたからですが、小泉政権下では、新自由主義という名の下に弱肉強食が推し進められ、その結果として、日本の中間層が破壊されました。

日本という国は、世界で唯一成功した社会主義国家とも言われたように、分厚い中間層によって内需が支えられてきましたが、この層が崩壊し、賃金上昇の下支えも失っていき、将来の不安から子供の選択を諦める層も増えました。

日本がこのまま何ら有効な手を打たずに少子高齢化が進めば、土地や建物は資産としての価値が減少していくため、多額の借金を背負って新築の家を購入し、35年間も利子を上乗せして返済していく昔の常識に拘ることは、メリットよりもデメリットが上回る可能性が高いかもしれません。

空き家が至るところで増え、昭和と比べれば離婚件数が増え、何でもシェアやサブスクリプションになるつつある時代において、住宅への意識も少しずつ変わっていくのかもしれませんが、アインシュタインが偏見と言った、幼少期に身に付いた常識を変えるのは、なかなか難しいようです。

それは、

「三つ子の魂百まで」

という諺もあるように、人間を含めた生物とは保守的であり、一度身に付いた常識や習慣を変えることは難しいからです。

それ以外にも、我々が受けている学校教育とは、常識や権威に疑問を持たず、右に倣(なら)う画一的な人間を作り出すものだからです。

もちろんどんな物事にも正と負の作用があり、それこそ画一的に論じることは危険ですが、時として常識や権威を疑う必要はあるでしょう。

では、子供が常識や権威を鵜呑みにしない人間に育つには、親は何をしたらいいのかを考察します。


まず1つ目は、当ブログでも述べているように、自分の頭で考える癖をつけさせることです。


宮本算数教室が出している賢くなるパズルを与えてみたり、将棋で一緒に遊んでみたりと、頭を使う遊びを子供に教えてあげることです。

くもん出版などから発売されている木のおもちゃ・タングラムや、ソニーのキューブ型ロボット・トイオなども頭を使うおもちゃだと思います。

ゲームを批判する人もいますが、複雑なものは確実に頭を使います。FFなどのキャラクターの装備品で、このアイテムを装着すると、「力は上がるが素早さは下がる」といったものは、他の装備や敵との相性、味方との兼ね合いといったことで間違いなく頭を使いますので、時間を決めてやらせてもよいと思います。


2つ目も当ブログで述べていることですが、好奇心を育てることです。


好奇心が旺盛であることは、様々な対象に疑問を持つことに繋がりますので、常識を捉え直すきっかけが掴めます。


3つ目は、親が間違えたと判断したことに対して、子供へ素直に謝ることです。


子にとって親とは、生存を依存する絶対的な存在であるため、親の常識は後々まで子供を支配します。

その親が謝るのですから、親の常識を疑う素地もでき、権威を絶対視しなくなります。

もちろん厳しさは必要であり、厳しさの中にある謝罪だからこそ生きてきます。

またそのような親の姿に接したら、子供は権威を振りかざす、つまらない大人にもならないでしょう。


4つ目は、壁や襖に目一杯絵を描かせてあげることです。


子供はみな常識に囚われていない天才です。

壁や襖は部屋を隔てるものだという先入観を持っていないため、絵を描こうとします。

これを認めてあげることで、常識に拘らない子供になる可能性を育みます。

もし汚したくなければ、壁や襖の上に紙を貼るなど工夫をしましょう。


5つ目は、絵本の文言を変えることです。


本とは、権威や常識の最たる物です。

誰でも出版できる電子書籍の普及により、そうではなくなってきていますが、特に紙の本は、学校の教科書も含めて権威や常識の塊です。

そのため、絵本などの文言や内容を、時に自分なりに変更して読んであげることで、子供は常識を疑う素地を作ることができます。

大人になったら、本は批判的に読むことが必要になりますが、その土台にもなります。

言うまでもなく、時代というものは常識や権威を否定してきた人たちによって前進してきました。

しかし、何でもかんでも常識を否定することはおすすめできません。

例えば夫婦別姓について、この制度は時代遅れだとする論調が一部ではありますが、男性が夫婦別姓を望まない理由は、生物学的な根拠があります。

この議論の前提として、人間を含めたすべての生命は、自分の遺伝子を引き継ぐ自己複製を望んでいるとして話を進めていきます。

まず、女性は自分が出産した子供について、体外受精や顕微授精などを除けば、自分のお腹から産んだのだから、間違いなく自分の遺伝子を引き継いでいます。

しかし、男性は妻が出産した子供について、自分の子供である確証を得ることはできません。男性は、その子供が自分の精子から生まれたと判別するには、遺伝子検査をしなければなりません。

ここで夫婦別姓が当たり前となると、同じ名字を名乗っていないのだから、家族間の絆は緩やかになります。子供もどちらかの名字を選ばなければならず、兄弟で違っているとなると、もうそれは家族ではなく、住居をシェアしているという認識に近くなっていく可能性があります。

もちろんそこに遺伝子の繋がりはあるものの、家族のまとまりが失われ、何でもシェアやサブスクリプションが適応されている昨今の状況から、配偶者や子供もシェアやサブスクリプションにしていこう、と突飛な主張をする者たちがいずれは出てくるでしょう。

いやこれは突飛ではなく、レンタル彼女とかがもうすでに存在しているのだから、配偶者や子供をシェアすることは、最先端であり、時代の流れであり、自由であり、個の尊重だ、と主張する者たちが出てくるでしょう。

これが進むと、当然ですが、妻が出産した子供が、法的な配偶者の男性の子供でない確立が高くなります。

当たり前ですが、現代の夫婦間において、夫が自分の子供かどうかを疑って遺伝子検査をすることなどほぼありません。

そこには信頼関係があり、婚姻という法律の枠組みを超えた絆があるからです。

しかし時代が進み、配偶者をシェアやサブスクリプションする時代となっていれば、検査を望む男性は増えているはずで、もっともその時は、法的な配偶者という制度も崩壊し、家族の形態は間違いなく破壊されているでしょう。

そうなると、家族の拠り所を失った個人は孤立していくでしょう。

このような将来を見据えながら、一人の人格ある個人として認める大切さと共に、利害関係ではない家族の結びつきというものを考えていく必要があるでしょう。

もしかしたら、配偶者や子供に関し、シェアやサブスクリプションを提唱する者たちは、チンパンジーは乱婚であり、精子間競争が行われているのだから、別に人間がそうなっても不思議ではないと主張するかもしれません。

チンパンジーのメスが誰とでも交尾する乱婚の理由は、父親を分からなくすることで、母親が生まれた自分の子供を、他のオスに殺されないためといった別の原理が働いているからです。

群れで暮らすわけではないヒトの家族の一体性が失われていけば、男性は妻の産んだ子供が自分の子供である確証が得られなくなっていき、仮に子供がそのような状況になったとき、どうなるのか。血の繋がり、子供の想い、心の繋がり、子供の立場、雄の凶暴性なども考慮すれば、ヒトの極度の個の尊重は、いずれは個の孤立に繋がっていく危険性があるということです。

人間は哺乳類であり、霊長類でもある。それと同時に感度の高い心を持った存在であることも忘れてはならず、そういった様々な観点から、時代というものに流されず、文化的な背景も加味しながら、各種制度といったものを検討していく必要があるでしょう。

昨今はインターネットの発達により、暗部といった人の様々な部分が可視化され、また至るところで旧来の仕組みが作用しなくなっているため、非常識が常識となっている部分もあります。

こういった中で、ある部分では揺り戻しが起きる可能性はありますが、ただそれでも、変化が激しく先が読めないと言われる現代において、常識や権威に囚われない思考や生き方は間違いなく求められていくでしょう。



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