canvaより
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昨今はインターネットやテクノロジーが発達し、容易に他国の人々とやり取りができるようになり、世界が狭くなりました。
そんな国の垣根が取り払われた昨今では、国際的に活躍できる、グローバル人材になることが求められているようです。
では、グローバルに活躍できる人間とは、どのような人を指すでしょうか?
まずは、世界共通語としての英語を話せることが、多くの人が考える第一条件かもしれません。
他にも、異文化や他者を理解する力、共感する力、伝える論理の力、などが上げられるかもしれません。
また、自国の伝統文化を理解していることも、グローバル人材の条件になるでしょう。
しかし、一番重要な条件とは、勝負への執念が備わっているかどうかだと私は考えます。
それについて、復讐という事例を取り上げながら考察を深めていきます。
世界に残る復讐についての名言は、その多くが否定的なものです。
他にも、異文化や他者を理解する力、共感する力、伝える論理の力、などが上げられるかもしれません。
また、自国の伝統文化を理解していることも、グローバル人材の条件になるでしょう。
しかし、一番重要な条件とは、勝負への執念が備わっているかどうかだと私は考えます。
それについて、復讐という事例を取り上げながら考察を深めていきます。
世界に残る復讐についての名言は、その多くが否定的なものです。
復讐に関する言葉だけでなく、復讐の代替措置でもある死刑制度もEUでは廃止の方向に進み、米国でも多くの州が廃止をしています。
では、欧米人は本当に復讐をしないのでしょうか?
日本には過去、復讐である敵討ちが公然と認められ、称賛されていた時代がありました。また現在も、一定の報復措置である国家による死刑制度が、概ね多数派の支持で維持されています。
その一方で「水に流す」という言葉があり、墓を暴いたりする民族もある中で、死者にまで鞭を打たない民族とは言われています。
大東亜戦争後、鬼畜米英から一転してGHQに従った良く言えば柔軟性、悪く言えば節操のなさが見られましたが、先の大戦に関しては、復讐心を表しませんでした。
それほど、WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)を初めとしたGHQの日本支配が徹底していたとも言えるし、原爆や空襲で国土を焼け野原にされた日本国民は、日々生きていくことで精一杯であったとも言えるでしょう。
また、復讐を行う気骨のある人間は戦争で死んでしまい、自己保身に走った人間が生き残ったのではないかという悲しい見方もできます。
オランダ軍が管理するインドネシアのクーパンに収容され、銃殺刑を執行された、加賀藩の前田家に連なる前田利貴氏の遺書には、次のように記されています。
戦勝国の行った取り調べで、我が身可愛いさから上官や部下を売り、無事帰国した人間が多い。
ビルマで従軍した歴史学者の会田雄次氏は、自身の戦争体験から次のように述べています。
終戦まで生き残った兵士は、運が良かった者もいるが、ずるい者も少なくなかった。
また、敗戦を知らずに、戦後ジャングルで戦っていた軍人・小野田寛郎氏に対し、帰国後、靖国神社へ奉納するお金を巡ってつまらない批判をした元高級将校がいたり、多くの若者を特攻で死に追いやりながら、戦後は知らぬ存ぜぬでのうのうと生き延びた特に海軍の上官が大勢いました。
イギリスでも、勇敢な人間ほど戦死したため、戦後ノブレス・オブリージュが廃れてしまったという話もあります。
もちろん、立派に戦って正々堂々と帰国した日本人が、ほとんだったことでしょう。
そして彼らは、戦後の日本再建のため、脇目も振らずに尽力してくれました。
そのため、復讐などする暇がなかったかもしれず、争いなど懲りていたかもしれず、思っていたよりもGHQが善政を敷いたのかもしれませんが、戦後の日本は、戦時国際法違反である無差別空襲や原子爆弾の投下に対し、アメリカに復讐心を燃やすことはありませんでした。
一方で英国は、大東亜戦争の緒戦におけるマレー沖海戦で、世界最強の戦艦であったプリンス・オブ・ウェールズを大日本帝国海軍に沈没させられ、イギリスのアジア植民地支配の象徴であるシンガポールや香港を失い、マレー半島を占領されました。
この南方作戦で、英国は多数の軍人や兵器を失い、太陽の沈まぬ国の面目は丸潰れとなりました。
この時のことを、イギリス軍がどのように感じていたかについては、西洋史家である会田雄次氏が著書に詳しく記しています。
会田氏は、マレー半島のビルマで終戦を迎え、イギリス軍が管理するラングーンの収容所で、捕虜として1年9ヶ月を過ごしました。
そこで会田氏が見聞きした、日本人捕虜に対するイギリス軍の恐るべき復讐を、氏の著書である「敗者の条件」から要約してみます。
収容所には多数の日本人捕虜がおり、その中には何百人かの死刑囚がいました。
ある日会田氏は、若い英国人将校の口から、こんな言葉を聞きます。
「ジャップは死ぬことを何とも思っていない。このような信念を持つ人間に、肉体的苦痛や死を与えても復讐にはならない。だから我々は、ジャップの精神を破壊してから殺すのだ」
会田氏は、この言葉の意味が始めは分からなかったそうですが、半年後に合点のいく事件に遭遇することとなります。
あるとき日本人の捕虜たちは、戦犯に恩赦を与える動きがあることを、弁護人から伝え聞きます。
イギリス本国で英国王が検討中であることを知らされますが、結局その話は立ち消えとなりました。
そしてあるとき再び、今度は現地軍司令部が、善意を持って戦犯の減刑を推し進めているとの情報を耳にします。
しかし、最終的に恩赦は何ら実施されず、すべての死刑囚は刑を執行されました。
つまり、恩赦の情報は嘘であり、死刑囚を絶望へ突き落とすための罠だったのです。
死刑を宣告された者は、間違いなく心を取り乱します。
特に、事後法による戦勝国の裁判で、無実の罪を着せられた者たちは尚更のことでしょう。
それでも日本の軍人たちは、これが1つの運命であることを悟り、死を受け入れていきました。
その覚悟を決めた死刑囚に対し、生きて故郷の土を踏めるかもしれない情報を流し、二度もの僥倖を期待させ、生への希望が膨らみに膨らんだところで死刑を実行する。
これほどの復讐はありません。
そして、先に名前を挙げた前田大尉も、死刑の宣告を受けたあと、宣教師から恩赦の情報を受け取っています。
結局この恩赦は、イギリス軍と同じで実行されず、前田氏はオランダ軍による銃殺刑で死んでいます。
前田氏も同じく2度も減刑を聞かされたようで、喜びの赤飯まで炊いたと記しています。
そして、前田氏の減刑に関する偽情報には続きがありました。
私はこれを読んだとき慄然としました。
これが血の通う人間の所業であろうかと、我が目を疑いました。
それは、前田氏が死ぬ前に、キリスト教に回心していたことでした。
言うまでもなく宗教とは、精神の拠り所となるものであり、当時の日本人は天皇を現人神と崇め、敗北が濃厚となると天皇陛下万歳とまで叫んで自決したように、神道や天皇を頑なに信じていました。そんな日本人を、当時の敵国宗教であるキリスト教に改宗させたことは、どんなやり取りがあったにせよ、充分すぎる復讐にはなったでしょう。
この偽情報に関し、宣教師がどれほど関与していたのかは分かりませんが、二度までも死刑廃止のデマ情報を流し、神道を捨てさせるまで前田氏の精神を屈伏させたことは、まさに悪魔の所業と言えるでしょう。
前田氏が語ったように、上官や部下を売った人間が多いという言葉は、それこそ戦勝国の離間工作や復讐の一環と考えられ、自分の命を天秤に架けられたとき、裏切らざるを得ない部分があったのだとは思います。
前田氏自身は部下に恵まれ、一身に責任を背負って銃殺刑を受け入れていますが、仲間を裏切る人間の本性を多く見せられ、そんな追い討ちをかけられた状況で恩赦の情報を二度も受け取り、一度は赤飯を炊いて生還の喜びを分かち合った中で、最後は結局死刑を執行されたことを考えると、この揺さぶりは、余程強靭な精神を持つ人間でも耐えられないでしょう。
前田氏は、銃殺の直前に大きな声で歌を歌い、笑い声を上げて死んでいきました。
この勇敢な散り際は、前田氏を産み育てた日本の精神にあると思いますが、もし彼らが心の底でほくそ笑んでいたとしたら、充分な復讐になったことでしょう。
このように欧米人の底流には、飽くなき勝利への執念が流れており、また勝ち得た後も、闘争の精神を失わないようです。
ヨーロッパの城や中世の町役場では、牢屋が居室の近くにあるそうです。
その理由は、捕らえた敵将を生かさず殺さずの状態にしておき、喚(わめ)いたり、哀れみを乞うかつてのライバルを間近で眺めることで、いつまでも勝利の快感に浸るためであったそうです。
この話はルネサンス時代の逸話ですが、他にも、マキャヴェッリが称賛した残忍な男の代名詞であるチェーザレ・ボルジアや、倒した王をバルサム漬けにして飾っていたナポリ王フェルディナンド1世など、勝負に対する驚くべき話題に事欠きません。
これら勝敗への態度が、現代の欧米人の内にも流れていることだけは覚えておいたほうがいいかもしれません。
そうすると、なぜ復讐を否定する言葉が後世に伝えられたのかや、ヨーロッパやアメリカで死刑制度が廃止されているかが、解けるような気もします。
つまり、自分たちが復讐される側や、加害者の立場になりうることを、感じていることの裏返しであるということです。
各国が死刑廃止に至った要因は複合的で、一概に論じることはできませんが、日本人が死刑に賛成する理由は、自分は極悪な罪など犯さず、自分を陥(おとしい)れるような人間も周りにはおらず、死刑される立場にはならない、という大前提があるからでしょう。
それは、世界と比較した日本の殺人発生率や治安の良さから分かります。
しかしそのことは、暴論になりますが、闘争心やハングリー精神を欠いた、日本の一面を表していると言えるでしょう。
そんな大人しい国民の住む日本にも、ルネサンスと同じような空気が流れていた時代がありました。
それは、血で血を洗う争いをしていた戦国時代です。
権謀術数が渦巻く世界の中で、華々しく生を散らした元亀天正の武者たちの精神が、我々の内にも流れているはずです。
お人好しで結構
ということで、国際的に活躍できるグローバル人材の最も大事な条件とは、勝つことに対する執念を持っていること、だと思います。
では、欧米人は本当に復讐をしないのでしょうか?
日本には過去、復讐である敵討ちが公然と認められ、称賛されていた時代がありました。また現在も、一定の報復措置である国家による死刑制度が、概ね多数派の支持で維持されています。
その一方で「水に流す」という言葉があり、墓を暴いたりする民族もある中で、死者にまで鞭を打たない民族とは言われています。
大東亜戦争後、鬼畜米英から一転してGHQに従った良く言えば柔軟性、悪く言えば節操のなさが見られましたが、先の大戦に関しては、復讐心を表しませんでした。
それほど、WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)を初めとしたGHQの日本支配が徹底していたとも言えるし、原爆や空襲で国土を焼け野原にされた日本国民は、日々生きていくことで精一杯であったとも言えるでしょう。
また、復讐を行う気骨のある人間は戦争で死んでしまい、自己保身に走った人間が生き残ったのではないかという悲しい見方もできます。
オランダ軍が管理するインドネシアのクーパンに収容され、銃殺刑を執行された、加賀藩の前田家に連なる前田利貴氏の遺書には、次のように記されています。
戦勝国の行った取り調べで、我が身可愛いさから上官や部下を売り、無事帰国した人間が多い。
ビルマで従軍した歴史学者の会田雄次氏は、自身の戦争体験から次のように述べています。
終戦まで生き残った兵士は、運が良かった者もいるが、ずるい者も少なくなかった。
また、敗戦を知らずに、戦後ジャングルで戦っていた軍人・小野田寛郎氏に対し、帰国後、靖国神社へ奉納するお金を巡ってつまらない批判をした元高級将校がいたり、多くの若者を特攻で死に追いやりながら、戦後は知らぬ存ぜぬでのうのうと生き延びた特に海軍の上官が大勢いました。
イギリスでも、勇敢な人間ほど戦死したため、戦後ノブレス・オブリージュが廃れてしまったという話もあります。
もちろん、立派に戦って正々堂々と帰国した日本人が、ほとんだったことでしょう。
そして彼らは、戦後の日本再建のため、脇目も振らずに尽力してくれました。
そのため、復讐などする暇がなかったかもしれず、争いなど懲りていたかもしれず、思っていたよりもGHQが善政を敷いたのかもしれませんが、戦後の日本は、戦時国際法違反である無差別空襲や原子爆弾の投下に対し、アメリカに復讐心を燃やすことはありませんでした。
一方で英国は、大東亜戦争の緒戦におけるマレー沖海戦で、世界最強の戦艦であったプリンス・オブ・ウェールズを大日本帝国海軍に沈没させられ、イギリスのアジア植民地支配の象徴であるシンガポールや香港を失い、マレー半島を占領されました。
この南方作戦で、英国は多数の軍人や兵器を失い、太陽の沈まぬ国の面目は丸潰れとなりました。
この時のことを、イギリス軍がどのように感じていたかについては、西洋史家である会田雄次氏が著書に詳しく記しています。
会田氏は、マレー半島のビルマで終戦を迎え、イギリス軍が管理するラングーンの収容所で、捕虜として1年9ヶ月を過ごしました。
そこで会田氏が見聞きした、日本人捕虜に対するイギリス軍の恐るべき復讐を、氏の著書である「敗者の条件」から要約してみます。
収容所には多数の日本人捕虜がおり、その中には何百人かの死刑囚がいました。
ある日会田氏は、若い英国人将校の口から、こんな言葉を聞きます。
「ジャップは死ぬことを何とも思っていない。このような信念を持つ人間に、肉体的苦痛や死を与えても復讐にはならない。だから我々は、ジャップの精神を破壊してから殺すのだ」
会田氏は、この言葉の意味が始めは分からなかったそうですが、半年後に合点のいく事件に遭遇することとなります。
あるとき日本人の捕虜たちは、戦犯に恩赦を与える動きがあることを、弁護人から伝え聞きます。
イギリス本国で英国王が検討中であることを知らされますが、結局その話は立ち消えとなりました。
そしてあるとき再び、今度は現地軍司令部が、善意を持って戦犯の減刑を推し進めているとの情報を耳にします。
しかし、最終的に恩赦は何ら実施されず、すべての死刑囚は刑を執行されました。
つまり、恩赦の情報は嘘であり、死刑囚を絶望へ突き落とすための罠だったのです。
死刑を宣告された者は、間違いなく心を取り乱します。
特に、事後法による戦勝国の裁判で、無実の罪を着せられた者たちは尚更のことでしょう。
それでも日本の軍人たちは、これが1つの運命であることを悟り、死を受け入れていきました。
その覚悟を決めた死刑囚に対し、生きて故郷の土を踏めるかもしれない情報を流し、二度もの僥倖を期待させ、生への希望が膨らみに膨らんだところで死刑を実行する。
これほどの復讐はありません。
そして、先に名前を挙げた前田大尉も、死刑の宣告を受けたあと、宣教師から恩赦の情報を受け取っています。
結局この恩赦は、イギリス軍と同じで実行されず、前田氏はオランダ軍による銃殺刑で死んでいます。
前田氏も同じく2度も減刑を聞かされたようで、喜びの赤飯まで炊いたと記しています。
そして、前田氏の減刑に関する偽情報には続きがありました。
私はこれを読んだとき慄然としました。
これが血の通う人間の所業であろうかと、我が目を疑いました。
それは、前田氏が死ぬ前に、キリスト教に回心していたことでした。
言うまでもなく宗教とは、精神の拠り所となるものであり、当時の日本人は天皇を現人神と崇め、敗北が濃厚となると天皇陛下万歳とまで叫んで自決したように、神道や天皇を頑なに信じていました。そんな日本人を、当時の敵国宗教であるキリスト教に改宗させたことは、どんなやり取りがあったにせよ、充分すぎる復讐にはなったでしょう。
この偽情報に関し、宣教師がどれほど関与していたのかは分かりませんが、二度までも死刑廃止のデマ情報を流し、神道を捨てさせるまで前田氏の精神を屈伏させたことは、まさに悪魔の所業と言えるでしょう。
前田氏が語ったように、上官や部下を売った人間が多いという言葉は、それこそ戦勝国の離間工作や復讐の一環と考えられ、自分の命を天秤に架けられたとき、裏切らざるを得ない部分があったのだとは思います。
前田氏自身は部下に恵まれ、一身に責任を背負って銃殺刑を受け入れていますが、仲間を裏切る人間の本性を多く見せられ、そんな追い討ちをかけられた状況で恩赦の情報を二度も受け取り、一度は赤飯を炊いて生還の喜びを分かち合った中で、最後は結局死刑を執行されたことを考えると、この揺さぶりは、余程強靭な精神を持つ人間でも耐えられないでしょう。
前田氏は、銃殺の直前に大きな声で歌を歌い、笑い声を上げて死んでいきました。
この勇敢な散り際は、前田氏を産み育てた日本の精神にあると思いますが、もし彼らが心の底でほくそ笑んでいたとしたら、充分な復讐になったことでしょう。
このように欧米人の底流には、飽くなき勝利への執念が流れており、また勝ち得た後も、闘争の精神を失わないようです。
ヨーロッパの城や中世の町役場では、牢屋が居室の近くにあるそうです。
その理由は、捕らえた敵将を生かさず殺さずの状態にしておき、喚(わめ)いたり、哀れみを乞うかつてのライバルを間近で眺めることで、いつまでも勝利の快感に浸るためであったそうです。
この話はルネサンス時代の逸話ですが、他にも、マキャヴェッリが称賛した残忍な男の代名詞であるチェーザレ・ボルジアや、倒した王をバルサム漬けにして飾っていたナポリ王フェルディナンド1世など、勝負に対する驚くべき話題に事欠きません。
これら勝敗への態度が、現代の欧米人の内にも流れていることだけは覚えておいたほうがいいかもしれません。
そうすると、なぜ復讐を否定する言葉が後世に伝えられたのかや、ヨーロッパやアメリカで死刑制度が廃止されているかが、解けるような気もします。
つまり、自分たちが復讐される側や、加害者の立場になりうることを、感じていることの裏返しであるということです。
各国が死刑廃止に至った要因は複合的で、一概に論じることはできませんが、日本人が死刑に賛成する理由は、自分は極悪な罪など犯さず、自分を陥(おとしい)れるような人間も周りにはおらず、死刑される立場にはならない、という大前提があるからでしょう。
それは、世界と比較した日本の殺人発生率や治安の良さから分かります。
しかしそのことは、暴論になりますが、闘争心やハングリー精神を欠いた、日本の一面を表していると言えるでしょう。
そんな大人しい国民の住む日本にも、ルネサンスと同じような空気が流れていた時代がありました。
それは、血で血を洗う争いをしていた戦国時代です。
権謀術数が渦巻く世界の中で、華々しく生を散らした元亀天正の武者たちの精神が、我々の内にも流れているはずです。
お人好しで結構
平時と戦時では事情が違う
確かにそうかもしれません。
ただ、世界史とは侵略と殺戮の歴史です。
日本のように、海という天然の要塞に囲まれ、豊かな大地に育まれてきた民族には想像もつかない厳しい環境が世界にはあります。
ユダヤの口伝であるタルムードには、以下のような峻烈な教えがあります。
確かにそうかもしれません。
ただ、世界史とは侵略と殺戮の歴史です。
日本のように、海という天然の要塞に囲まれ、豊かな大地に育まれてきた民族には想像もつかない厳しい環境が世界にはあります。
ユダヤの口伝であるタルムードには、以下のような峻烈な教えがあります。
ユダヤ人のみが人間である。
ゴイム(非ユダヤ人)は人間ではなく、ユダヤ人に所有され、ユダヤ人に奉仕するための家畜である。
こんなものを正当化させてはなりませんが、厳しい環境を生き抜く術として生まれ、育まれてきたのでしょう。
同じ人間として、命取りになる甘い考えかもしれませんが、どこかで分かり合えると信じたいものの、もしあなたが世界に飛び出していくのならば、ひとたび隙を見せたら寝首を掻く、勝負に徹する人間がいることだけは頭に入れておいた方がいいでしょう。
ということで、国際的に活躍できるグローバル人材の最も大事な条件とは、勝つことに対する執念を持っていること、だと思います。
参考文献
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