2018/12/28

平成のドン・キホーテが平成を振り返り、平成に別れを告げる そして元号が改まったいま、新しい時代もひとつよろしくお願いいたします。




引用 国立公文書館 平成元号の書



平成最後のなんちゃら。

こんなセリフがあちこちで登場するように、もう間もなく、平成という一つの時代が終わろうとしています。

平成の始まりは、誰彼なしに直接電話をかけたブッチホンでおなじみの小渕さんからでした。

1989年1月7日、当時の内閣官房長官であった小渕恵三氏によって、その元号が記者会見室を通して国民にお披露目され、翌1月8日から歩み始めた平成は、2019年4月30日で終わりを告げます。

てなわけで、現在2018年の年末と少し早いですが、平成のドンキホーテを名乗るワタクシが、僭越ながら平成という時代を振り返り、ここにまとめてみたいと思います。


平成とはどんな時代だったのか?


これを一言で表すのは難しいですが、先日天皇陛下が記者会見でおっしゃったように、戦争のない時代であったことは間違いありません。

元号・平成の出典は、書経「地平かに天成る」史記「内(うち)平かに外成る」であり、そこに込められた意味は、小渕氏が語ったように、


国の内外にも天地にも平和が達成される


であり、確かに日本が焦土と化す戦争がなかったという意味で、平成は平和な時代だったかもしれません。

しかし、これまた天皇陛下がおっしゃったように、国内では災害が頻発し、多くの国民が命を落とし、日々の生活にも爪痕を残しました。

消費税が始まったのも、平成が産声を上げたすぐ後の、1989年の4月からでした。

必要な税であれば仕方ないですが、税率は徐々に上がり、国内消費を冷ます存在となっていきました。

そしてまた、世界の至る所では戦争や紛争が起きていました。

平成という時代が、国の内外にも平和が達成されたとは言い難く、日々の安寧を実感できた人は、多くなかったかもしれません。

ただ、ある面では平和を表した時代だったかもしれません。

渋谷でのハロウィン狂想曲と、その後に残された大量のごみは、平和ボケと言うに相応しいかもしれません。

援助交際という言葉が登場したのも平成でした。

遊ぶ金欲しさに春を売る高校生と、悪びれもせずそれを買う大人たち。

平成とは、かつての折り目正しい日本人はどこかに消え、日本が日本でなくなった時代だと、後世は評価するかもしれません。

そんな平成が、まもなく終わろうとしています。

新しい元号が何になるのか、そこにどんな意味を込めるのか、一国民としては気になるところです。

ただ一部では、元号なんてやめちゃえよ、という声も聞かれます。


この記載、和暦ですか西暦ですか?

あれ、この年って西暦何年だっけ?



元号がなくなれば、こんな煩わしさから解放され、また改元に伴う様々な変更作業も無くなることも確かです。

でもいいじゃないですか、元号があったって。

この日本という国に生まれ、この日本という国に暮らしている現実に、乾杯しようじゃありませんか。

もちろん元号が変わるからといって、平成を含めた過去の時代がチャラになるわけではなく、日常生活もほとんど変わらないでしょう。

書類作成時に違和感を覚えるだけで、それも時間が経てば、気にも留めなくなるでしょう。

西暦が2000年に変わるときも、終末論やコンピューターの誤作動で騒がれましたが、結局は何も起きませんでした。

新元号のざわめきも一時だけで、やがては皆日々の営みに帰っていくことでしょう。

ただそれでも、新元号を祝おうじゃないですか。

崩御ではなしに行われる今回の改元を、皆それぞれの形で祝おうじゃないですか。

私は正月にビールかけをする予定です。

昔巨人の桑田真澄投手が、優勝後のビール掛けを一人で行い、仲間がいなくて寂しい奴だとからかわれたことがありましたが、ぼっち飯という言葉が登場したのも平成であり、同じく孤独死がクローズアップされると共に、その裏でお一人様という言葉が市民権を得たのも平成でした。

都合のよい個人主義が蔓延し、規制緩和の名の下に終身雇用制度が崩壊した結果、日本型社会の特色である集団への帰属意識は低下していきました。

日本人は、独立や権利を市民革命で勝ち取ってはいません。

明治維新とは、Revolutionではなくthe Meiji Restorationと英語で表記されるように、民衆が血みどろの戦いで個人の権利を獲得したわけではなく、日本人には、お上の干渉を拒絶する厳格な個人主義が根底にはありません。

また、一神教を信仰する西洋のように、絶対者である神と対置した、明確に規定された個人という概念も日本には存在しません。

そんな国が、戦後利己主義のような個人主義だけ取り入れ、協調性や団結力を利点とする集団主義が薄れていけば、後に残されるのは、ワガママな個人と立ちすくむ個人だけです。

平成とは、そのような社会の変化が起きた時代でした。

そんな訳で、私が行うビールかけも当然一人です。


「よーし、平成最後のお正月だから、お父さんはお風呂でビールでも飲んじゃおうかなー」


なんて言って風呂場に缶ビールを持ち込み、思い切りシェイクし、自分の頭にビールをかける予定です。

皆さんもそれぞれの方法で、平成最後のイベントと新元号を祝いましょう。

それでは新しい元号を迎えるにあたり、平成に別れを告げておきましょう。


「平成くん、さようなら」


あれ?

何だかこの台詞どこかで聞いたような・・・

安倍応援団の一人、古市憲寿くんの小説でしたね。

彼はテレビ番組で、安倍晋三くんが世間から追い詰められていたとき、必死の形相で擁護していましたが、そこまでする理由はどこにあるんでしょうかね?

ということで、


「もうすぐ消え失せる安倍応援団の皆さん、サヨウナラー」


ついでに、


「官房機密費で生計を立てている皆様、サヨウナラー」


さらに、


「なんちゃってオピニオン誌を発行する、スットコドッコイ出版社殿も、サヨウナラー」


そして、


「ようこそ新しい元号くん」


次の元号は安久との先行報道もありましたが、どんな名称であっても、その時代を形作るのは国民です。

何になるかは分かりませんが、楽しみに待ちましょう。

そして、平成を枕詞にしている私も、来年から名乗りを変えます。

ということで、


「平成のドンキホーテくん、さようならー」


ついでに、おっさんを名乗る私としては、古びた平成のオッサンにも別れを告げます。


「さよなら、おっさん。」


あれ?

これも何処かで聞いたような・・・

識者のコメント機能が注目を集めている、News Picksさんでしたっけ?

この「さよなら、おっさん。」を企画した編集長は、安倍とベッタリのフジサンケイグループの一角・扶桑社の出身で、「週間SPA!」の編集長を務めたこともある金泉俊輔氏でしたっけ?

大々的に打たれたこのオッサン批判の広告は、ちょっとした物議を醸し、私を含めて世のオッサンたちは一瞬ドキッとしたことでしょう。

家では家族から邪険にされ、職場では上から下からと圧力を掛けられ、その往復途上でこんな中吊り広告を見たら、弱ってしまうのも当然です。

でも、批判の中身はいいんじゃないですか。

世の中の変化に見て見ぬふりをする人、能書きを並べて言い訳ばかりする人、試そうとせずにすぐできないという人、そんな人をオッサンと定義し、それらにサヨナラを告げ、価値観をアップデートしろって主張、いいんじゃないですか。

でも、薄っぺらい情報で価値観をアップデートしようとしても、意味がないばかりかバグを起こしたり重くなるだけですけどね。

まあ、どんな上っ面な情報でも何かしら学べることはありますし、流行りの情報がどんなものかを知っておいて損はないかもしれませんね。

ということで、ニュースピックスさんの主張に賛同しつつも、事物の本質追求を主眼に置いた上で、おっさんからサヨナラしましょう。


「おっさん、さよならー」


そして、


「ようこそ、NEOおっさん!」


今年は、平成くんもおっさんも受難の年でしたが、「おっさんずラブ」という一筋の光明も見え、他にも次々と元気玉を貰いました。

来年がどんな年になるか分かりませんが、不屈のネオおっさん魂を持って、なんちゃって正義の味方イシガキくんから脱皮し、本物の仮面ライダー石垣君に変身できるよう、もがき続けていきたいと思います。

そして私だけでなく、他のおっさんも、おばさんも、おにいちゃんも、おねえちゃんも、おじいさんも、おばあさんも、皆でこの国を盛り立て、子供たちが笑って過ごせる社会と、一人一人が生き生きと暮らせる社会の実現に向け、ひとりひとりができることをしていきましょう。

ではまた来年お会いしましょう。

よい、平成最後のお正月を!!!



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