2018/07/17

政治家を目指す者の人間性は、他人を蹴落としてまで這い上がろうとする利己的な嫌な奴か、世のため人のためを本気で考える良い奴かの、両極端の二タイプだと類推される松下政経塾塾生の言葉




TK Kurikawaさんによる写真ACからの写真 



松下政経塾という名の政治家を養成する私塾があります。

松下電器産業(現パナソニック)の創業者である松下幸之助氏が、「国家百年の大計」を実践できる政治家を育成するため、晩年に私財70億円を投じて創設したのが始まりです。

後に総理大臣となる一期生の野田佳彦氏のほか、「地盤・看板・カバン」、つまり「後援組織・知名度・政治資金」を持たない普通の若者が、国政への足掛かりとして次々に門をくぐっていきました。

1979年の設立から数十年を経た今日では、政治家だけでなく、神蔵孝之氏といった株式上場を果たした経営者など、各界のリーダーを数々輩出しています。

近頃は、「小沢一郎政治塾」・「河村たかし政治塾」・「維新政治塾」・「一新塾」など様々な政治塾が創設されたりもしましたが、松下政経塾は、茅ヶ崎の広大な敷地に立つ宿舎で寝泊りをする、全寮制となっています。

現在の研修期間は原則4年で、その中で茶道や禅といった日本の文化を学びながら、寝食を共にする仲間と切磋琢磨し、自らの志と情熱を練り上げていくカリキュラムが組まれています。

政経塾の概要は以上になりますが、寮生活とは、46時中一緒にいて起居を共にするため、お互いの性格が手に取るように分かります。

ましてや人生を賭けた者たちが集まり、日本や世界の将来を語り合うのだから、お互いの人間性がこれでもかと露わになるはずです。

そんな環境にいた塾生が残した、印象深い言葉があります。

それは、


政経塾に入って感じたのは、それまで出会った人間で、最も話が合うタイプと最も嫌いないタイプの両極端しかいなかったことです


引用文献 松下政経塾とは何か? 出井康博 新潮新書


この言葉をどう読み取るかは人それぞれですが、私は次のように解釈しました。

最も嫌いな者とは、政治家になることを目的とする人間のことであり、最も気の合う者とは、政治家になることを手段とする人間のことです。

世襲以外で政治家を志す人間は、その理由がどうであれ、間違いなくバイタリティはあります。

それは、厳しい選挙戦に負けたら身分や金銭の保証がないただの人となり、また政経塾は原則4年も塾に閉じ込められ、仕事をしていれば辞めなければならず、新卒であれば一括採用の旬な時期を逃すことになるからです。

これらは大きなリスクであり、国会議員を目指す者で、特に後ろ盾もなく政経塾の門を叩く者は、それを抱え込むだけのバイタリティーを持っている証です。

ただし、そのバイタリティーの拠り所は各々違います。

ある者は理想の社会を目指すため、ある者は己の野心のため、ある者は誰かを見返すためなどと、その理由は様々でしょう。

このような中で、ある塾生の語った最も嫌いなタイプとは、政治家になることを目的とし、自己顕示など利己的な部分を前面に押し出す人間のことであり、最も話が合うタイプとは、政治家になることを手段とし、世の為人の為を掲げる人格者であるということです。

どちらのタイプの人間が、政治家への道として有利に働いたかは分かりませんが、この両極端の大きなエネルギーが、自己を表現する最高の舞台とされる政治へ駆り立てるということです。

昨今は、世のため人のためという言葉が白々しく感じられる世相ですが、利他の精神とは、自分を犠牲にすることとは限らず、己の欲望を捨てることでもありません。

自分の持つ欲望を、自己顕示といった自分を満たすためだけに使うのではなく、世界中の人の幸せを実現させるだけの巨大な欲望に育て上げ、その大いなる利他を、大いなる利己に変換するのです。

自分だけの小さい枠に囚われた小我ではなく、大宇宙の意識に目覚めた大我を持つ。

大きな成功とは、小さな成功の積み重ねかもしれませんが、目指すべき先は、小さな成功ではなく、大きな成功であるべきでしょう。

ということで、松下政経塾に入塾する人間とは、他人を蹴落としてまで這い上がろうとする利己的な嫌な奴か、世のため人のためを本気で考える良い奴か、その両極端であると類推されます。

この私の結論が正しいかは分かりませんが、人を判断する時は、表層的な言動に騙されることなく、本質を見抜かなくてはなりません。

少し前の話ですが、政経塾出身の国会議員が街中で演説をしていたので、話しかけさせていただきました。

その内容は、同じく政経塾出身の原口一博氏が、選挙の不正についてTwitterで言及した件です。

「あなたは、そのことについてどう考えているのか?」 

私は率直なご意見を伺いたかったのですが、「はあ、そうですか、原口がですか」と答えるのみで、具体的な回答は得られませんでした。

不正選挙というキーワードは、何か触れてはならないタブーであるかの印象を受けたのですが、市民の問いかけや疑問の声に対し、真摯に向き合っていただけず残念でした。

そして不正選挙といえば、まさに政経塾から総理大臣となった野田佳彦氏に、晴らされていない疑惑が存在しています。

私のブログを読んでいる方は理解してくださっていると思いますが、世の中には善人の皮を被った悪人が大勢います。

またそれは、政治の舞台を目指す者に特に顕著に現れることだと私は結論づけましたが、そういったニセモノと一線を画す、国民国家を考える利他的な卒業生にぜひ活躍していただきたいものです。

ただし、当ブログでも指弾しているような巨悪に対しては、ちょっとやそっと世のため人のためを語っただけでは、簡単に飲み込まれてしまうでしょう。

特別会計の闇を公表しようとした石井紘基議員が殺されたように、本当に命の覚悟が必要となります。

石井紘基議員は、オウム真理教と統一教会との関係についても語っていましたが、不正選挙も、命を取られる危険性が高まるタブーな内容なのでしょう。

松下幸之助氏は、たった一人でいいから、この塾から「国家百年の計」を実行できる政治家が生まれてくれればいいと語っていたそうですが、今の日本は残念ながら、自公連立政権のような巨悪の言いなりとなる勢力が権力を持つ構造が出来上がり、またそれに追随する政治家で占められてしまいました。

これを覆すには相当なエネルギーが必要ですが、今こそ、国民の幸せや未来を本気で考える、真の政治家が日本に登場してくれなければ困るでしょう。



参考文献

0 件のコメント:

コメントを投稿