人力車
明治時代 撮影 小川 一真
幕末の日本において、知識は行為によって完結するとした思想・陽明学が、志士たちに少なからず影響を与えました。
そして、陽明学を興した王陽明は、「啾啾吟」という題の詩を残しています。幕末の志士たちも口ずさんだとされるこの詩の大意は、次のようなものです。
自分が信じて選んだ道は、どんな行路でも道である。
眉をしかめて愁うことなく、少しずつ着実に歩いて行こうじゃないか。
物事の成否は、人間の与り知らぬ処にある。
心配ばかりしても仕方がないだろう。
他人の評価を気に病み、しくしく嘆き悲しんでは居られない。
この詩からは、窮地に陥っても前を向いて生きていくことの大切さを教えてくれます。
そして、作家・松本清張氏の作品にも、「啾々吟」というタイトルの短編歴史小説が存在します。
後に、社会的な事件に謎解きを絡めた社会派推理小説の分野を切り開きますが、活動初期には「啾々吟」や「西郷札」といった時代小説を執筆しています。
その中でも処女作の「西郷札」は、名作の一品に数えられるでしょう。
内容は、西南戦争で敗れた元薩摩藩士の若者が、東京に出てきて車引きに身を落としながら、戦時中に発行された藩札「西郷札」にまつわる儲け話に巻き込まれながら、思わぬ方向に進んでいく物語です。
この車夫に身を落とした設定で描かれたもう一つの名作に、浅田次郎氏の「柘榴坂の仇討」があります。
映画化もされているため、ご存じの方も多いでしょう。
浅田氏といえば「平成の泣かせ屋」の異名を取り、現代で最も売れている作家です。
私も「蒼穹の昴」といった歴史物だけでなく、ギャンブル好きだった一人として「カッシーノ!」などの著作を楽しく拝読しました。
その「柘榴坂の仇討」の内容は、桜田門外の変で失態を演じた一人の旧彦根藩士が、こちらも車夫に身を落とし、何とか日々の糧を得ながら、主君・井伊直弼に手を下した旧水戸浪士を追っていく仇討ちの物語です。
両作ともラストは異なりますが、味わい深い歴史短編小説となっています。
現代における人力車のイメージは、京都の嵐山や浅草の浅草寺などの観光地で、威勢よく車を引くあんちゃんねえちゃんが思い浮かびますが、明治維新の頃は、多くが官吏となった元武士階級からすれば、落魄(らくはく)した職業だったのかもしれません。
そして私もいつか、車夫に身を落とした元侍を主人公に据え、御一新の激動期を必死で生きていた人たちに焦点を当て、人間の弱さや強さを描いた作品を執筆し、歴史小説家の末席に加われたらと考えています。
今流行りの「小説になろう」といった投稿サイトでは、舞台が異世界に転生する物語が中心です。
そして、主人公はそこで様々な能力を身に付け、俺TUEEEとなって縦横無尽に活躍する設定が大人気であり、日本のお家芸とも言える歴史物を描く作者は多くありません。
その理由は、自由に舞台を描ける異世界系とは異なり、歴史小説は緻密な時代考証が求められ、さらには専門用語が必要となるなど、描くのが難しいからかもしれません。
それでもいつか、そんな歴史小説に挑戦してみたいと思います。
ということで、松本清張氏の初期短編「西郷札」と、浅田次郎氏の「柘榴坂の仇討」は、幕末から明治維新にかけてを舞台とする小説の中で、ぜひおすすめしたい作品です。
それでもいつか、そんな歴史小説に挑戦してみたいと思います。
ということで、松本清張氏の初期短編「西郷札」と、浅田次郎氏の「柘榴坂の仇討」は、幕末から明治維新にかけてを舞台とする小説の中で、ぜひおすすめしたい作品です。
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