2017/03/19

復讐や敵討ちの是非を歴史上の事件から考えてみます。 




歌川広重 曽我物語図絵




読了時間8分



復讐代行・復讐サービス・復讐屋。

ネットにはこのような広告やサイトがそれなりに存在するように、人の恨みは根深いものなのかもしれません。

過去の歴史上においても、洋の東西を問わず、復讐・報復・敵討ち・仇討ちは、古くから広く見られます。

それは、自分や集団を守るという大義名分のためであり、人間社会にとって根源的な行為となってきたようです。

日本においては、以下に示すものが三大仇討ちとして知られています。


曽我物語鎌倉初期)

相模・曽我の里で育った曽我兄弟が、父親の仇である工藤祐経を富士の裾野で討った事件


鍵屋の辻の決闘江戸初期)

岡山藩士の渡辺数馬と、郡山藩剣術指南役の荒木又右衛門が、数馬の弟の仇である河合又五郎を、伊賀・上野の鍵屋の辻で討った事件


忠臣蔵江戸中期)

赤穂浪士が、主君の仇である吉良上野介を、江戸・本所の吉良邸で討った事件


赤穂義士の46人は、主君への忠義は認められたものの、正式な敵討とは見なされず全員切腹させられましたが、江戸時代中期の終わりに「御定書百箇条」により、敵討が一部制限の上で制度化されました。

具体的には、主人や親、兄といった目上の者が討たれた場合に限定し、また敵討の敵討である重敵討を禁止し、そして事前に藩へ届け出をし、藩主から免状を貰い、幕府の奉行所に届け出をしていれば、敵を討ったあと罪を問わないこととしました。

また、敵討は武士だけに認められた制度でしたが、農民や町人、女性の間でも行われ、儒教の柱である忠孝の観点から、成功したあとは罪に問われないことも多く、称賛されもしました。


この敵討制度は、明治維新により中央集権国家が誕生し、西欧を模した法治主義へと舵を切る中で、明治6年(1873)に廃止されました。

つまり、美風とされていた敵討が殺人罪となりました。


歴史小説家の吉村昭氏は、小説「敵討」という作品で、江戸後期と明治初期に起きた復讐事件について執筆しています。

(ネタバレあります)

一件目の「敵討」は、伊予松山藩士が主人公で、伯父と父の二人を殺された熊倉伝十郎が、首尾よく敵討を果たす物語であり、敵の黒幕は、天保改革を実行した老中水野忠邦の手先、鳥居耀蔵であったという話です。

二件目の「最後の仇討ち」は、幕末の勤王か佐幕かの政争で、敵対グループに父と母を殺された息子の臼井六郎が、臥薪嘗胆の思いで11歳の少年から成長を待ち、元号が明治に変わり、敵討禁止令が出される大動乱の中で敵を討つ話です。


本のあとがきに書いてあるように、吉村氏は個人的な出来事の敵討に興味はなく、後に歴史的事件と関わりのあることが分かり二件の敵討について執筆したと述べています。

そんな歴史上の重要事件を、小説で解き明かすことをライフワークとしてきた吉村氏の書くものは、史実に忠実な記録文学と言われる一方で、人情の機微が上手く描けていないと一部では言われていました。

本作品は、そんな吉村氏の特徴が活かされ、飾り気のない淡々とした描写が、
敵討に至る過程の臨場感や緊迫感を高めていきます。

特に二作目の「最後の仇討ち」は母まで惨殺されており、その端緒の悲惨さに加え、犯罪となった敵討の禁を犯すことにより、報復による読者のカタルシスはさらに高まります。


この「最後の仇討ち」は、藤原竜也さん主演で「遺恨あり 明治一三年 最後の仇討」というテレビドラマにもなりました。

このスペシャルドラマは、役を演じたご本人が代表作になったと語っているように、その演技もさることながら、生きるとか、家族とか、人生とか、そういった人間の根源的なものを視聴者に突き付けました。

ただし、小説の本編二作を含め、現代に伝わる仇討ちの事例は、ほとんどが報復に成功したものであり、何十倍もの成就できなかった事例が歴史の闇へ消えていったと言われています。

どうしても相手を見つけられなかった者、見つけても返り討ちにあった者など、歴史はこのような者たちに光を当てません。


東京荒川区の三ノ輪に、浄閑寺(じょうかんじ)というお寺があります。

ここは、吉原の遊女が投げ込むように葬られたことから、投込寺(なげこみでら)と呼ばれる有名なお寺ですが、ここには父の敵討ちに失敗し、返り討ちにあってしまった兄弟のお墓があります。

鳥取藩士・平井権八が、父の同僚である本庄助太夫を斬り殺して江戸へ逃げます。

そして、殺された本庄助太夫の息子・助七と助八の兄弟は、父の仇・平井権八を打ち果たそうとしますが、兄・助七が返り討ちに遭います。

その討ち取られた兄の首を、お寺の井戸で弟の助八が洗っているところ、弟もその場所で平井権八に襲われ、無惨にも討ち果たされてしまいます。

実際に事件の舞台となった井戸が、浄閑寺に「首洗い井戸」としてありますが、私はこの場所に佇んだとき、やるせない気持ちになりました。

大義のある者が必ずしも勝つわけではありませんが、復讐に失敗した二人の生涯を思うと、封建時代とはいえ、命を賭け、人生を賭けた当時の復讐について、その是非を考えずにはいられませんでした。

この平井権八は、吉原の遊女・小紫に入れ揚げ、金のために辻斬りを繰り返すものの、最期は罪人として磔の刑に処され、晒し首にされました。

そしてこの話は、平井が白井と名前を変え、内容も脚色され、歌舞伎や落語の演目「白井権八」や「鈴ヶ森」として知られているように、当時の社会に影響を与えました。

結局平井権八は、手を掛けた相手の子供によってではなく、江戸幕府の手によって断罪されましたが、たとえ復讐が成功したとしても、死んだ人間は還ってきません。

また、復讐が復讐を呼び、止めどない復讐の連鎖が巻き起こることもあり、復讐はエネルギーと時間の莫大な浪費と見なすこともできます。

敵討に費やした最大の年月は、
幕末の嘉永六年(1853)にとませという名の山伏の妻が、母親の仇である源八郎を、53年間もの探索ののち、陸奥国行方群鹿島駅陽山寺で討ち果たした事件となっています。

そのため日本とは違い、アングロサクソンやゲルマンでの殺しに対する復讐は、時代を経るにつれ金品であがなう方向に向かいます。

また、世界に残る復讐に関する言葉は、復讐に否定的なものが多いようです。



立派な生き方をしろ。それが最大の復讐だ。

Live well. It is greatest revenge.


ユダヤ教の聖典 タルムード



復讐ほど高価で不毛なものはない。

Nothing is more costly, nothing is more sterile, than vengeance.

ウィンストン・チャーチル(イギリスの政治家)



最良の復讐は、害をなす人とは違う人になることである。

The best revenge is to be unlike him who performed the injury.


マルクス・アウレリウス・アントニヌス(第16代ローマ皇帝)



許すことは復讐に勝る。

Forgiveness Is Better than Revenge.

エピクテトス (古代ギリシア、ストア派の哲学者)



愉快に暮らしているのが最大の復讐である。

Living Well Is the Best Revenge.

ジョージ・ハーバート (17世紀イングランドの詩人)



怨みに報ゆるに徳を以てす
(らみにむくゆるにとくをもってす)

以徳報怨

老子(道教の始祖)



これらの言葉にあるように、復讐をしなくてよいのなら、それに越したことはないかもしれません。

しかし、江戸期の武家社会とは、極端にまで面目を重んじたため、当時は親や兄を討たれたら、家門の名誉回復のため、否応なしに復讐の旅に出なければなりませんでした。

小説「敵討」の二つの物語は最終的に成功し、読者は言い知れぬ虚しさと共に胸を撫で下ろします。

人間は感情の生き物であり、納得しかねる行為には同意できないようになっています。


作家の菊池寛は、1919年に発表した短編小説「恩讐の彼方に」で、江戸時代のアンチテーゼとして、父の仇である市九郎を最終的に許す息子の中川実之助を描きました。

主人を殺めた市九郎は、自身が犯した罪の償いとして、洞門の開通という村人のための仕事を一心不乱に行いました。

そして21年後に実を結んだとき、従容として実之助に斬られようとし、その姿に胸を打たれた実之助は、父の仇・市九郎を許すというストーリーです。




青の洞門

D700さんによる写真ACからの写真



この「恩讐の彼方に」にあるように、被害者遺族にとっては、加害者の深い反省が一つのキーワードになるはずですが、加害者が喜びという感情を所持していることや、加害者が息をしていることすら、憎らしいと思うことも事実でしょう。

身内の殺害という不条理に、あてのない答えを出そうとすると、敵討という復讐の誓いを立てることになるのかもしれません。





月岡芳年 鬼神於松 四郎三郎を害す図



上記の浮世絵は、江戸時代に語られた復讐の場面で、夫を殺害されたお松が、ようやく発見した敵討ちの相手・四郎三朗を刺し殺し、本懐を遂げる瞬間です。

四郎三朗の驚いた表情とは対照的に、お松の涼やかな眼が印象的です。

覚悟を決めた女性ほど、恐ろしいものはないことを思い知らされるシーンですが、身内の殺害とは、時を経ても復讐の感情が蘇ってくるのかもしれず、日本の死刑制度が支持されている理由もそこにあるのかもしれません。



参考文献


紹介図書



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