2018/11/02

就職活動でリクルートスーツを着ていくべき理由






acworksさんによる写真ACからの写真 



経団連が、長年続けてきた就活ルールの廃止を発表し、企業や学生に不安が広まっています。

ただ、大学1年から就職活動を始める学生はいないだろうし、企業側も学生を通年採用するほど手間暇を掛けられないだろうから、今までと同じようなところに落ち着くような気もしますが、ある程度の統一ルールを作らなければ、混乱が生じるでしょう。

それこそ、むかし最も箔の付いたキャリア外交官の経歴が、東京大学法学部中退だったように、そのような学生が増えてきたり、早くから就活テクニックの習得に精を出す学生ばかりになってきたら、ますます大学の存在意義が問われることになるでしょう。

もちろん物事には二面性があり、学生が早くから自分の将来を具体的に考えるのは悪いことではなく、また今回の騒動により、日本の大学生は勉強をしないとか、日本の大学は数が多すぎるといった大学のあり方自体を見直すきっかけとなれば、それは日本の将来にとってはよいことであり、より議論を深めていくべきでしょう。

ということで今回のテーマは、「就職活動ではリクルートスーツを着ていくべきなのか?」です。

就職活動といえば、特徴的なのがリクルートスーツです。

何をもってリクルートスーツなのかや、ビジネススーツとの明確な違いは定かではありませんが、無地の黒や紺といったダーク系を指しているようです。

近頃では、IT系やスタートアップを中心に、面接の服装をまったく問わない場合もあるようですが、まだまだ多くの学生は黒系のリクルートスーツに身を包み、白いシャツを着て、地味な黒の革靴を履いて就職活動を行っているようです。

当然ですが、茶髪の男子学生はほぼ皆無であり、女性も含めて多くが黒髪です。

その結果として、就職合同説明会などを覗いてみると、まるで魚群のような黒々とした一団が企業ブースに列をなす姿が見られます。

この光景を、ある人は気味が悪いと語り、ある人は個性の喪失だと嘆き、ある人は大人社会にひれ伏す若者の姿だと分析します。

だいぶ前になりますが、元ライフネット生命の岩瀬大輔さんが、




とやや挑発的なツイートをして反響を呼びました。

彼のこの発言は、社会に飲み込まれるな、という若者への激励も含まれていたと思いますし、自分の色を外見でも出すべきとの意見も理解はできます。

ただ、大人社会や会社組織とは、自分の意見を押し殺さざるを得ない理不尽な場面が多いこともまた事実です。

「なぜ私がここで謝らなければならないの?」「どうして俺がここで泥を被らなきゃならないんだ?」といった状況に出くわすことは多々あります。

例えばもし取引先に文句を言われ、グッと堪えられずに怒りを吐き出すような人間であれば、間違いなく組織人としては失格です。

自分一人だけの責任で収まるなら、どんな放言を口にしても構わないかもしれませんが、一社員の言動によって会社の信用や顧客を失うことは往々にしてあります。

入社の面接とは、そのような会社に損害を与える可能性のある人間をまずは除外することだと思われます。

つまり私が言いたいことは、そんな爆弾を抱えた人間ではないことを、大人社会に順応できるということを、ダークスーツと白シャツの没個性的とされる格好によって表した方がいいのではないかということです。

昔の話ですが、私の知人は新卒の就職活動で、フレッシュマンとしては派手とも思える格好で面接に挑んでいました。

しかし結果は思わしくなく、途中から、新卒採用の就職活動としては至ってノーマルな格好に変えていました。

もっとも、知人が面接で落とされた理由が外見なのか内面なのかは知る由もありませんし、新卒らしくない格好を許容できるだけの会社もあったと思いますし、また、君はスタンドプレーに走るような人間に見受けられるけど、協調性についてはどう考えているの? といった質問を投げかけてくれる面接官がいたかもしれません。しかし難色を示した面接官も当然いたはずです。

正直面接という短時間の会話だけでは、尖った外見を上回るだけの内面を示すのは難しく、単に勘違いした学生だとか、変わった奴だと切り捨てられてしまうのではないかと思われます。

それこそ岩瀬大輔さんのように、東大在学中に旧司法試験を突破し、外資の戦略系コンサルティングファームに職を求めるような学生や、ズバ抜けた技術や中身を備えた学生であれば、どんな格好でも色眼鏡で見られることはないかもしれませんが、普通の学生は、他人に秀でた実績などほとんど持ち合わせていないものです。

だからこそ、没個性的なダークスーツを着ることで、社会や組織に順応できることを示し、いざとなればどんな泥水でも飲めることをアピールするのです。

ただし、そのダークスーツによって、その他大勢となることもまた事実です。

よってここで重要なのは、ダークスーツで組織への順応を示しながらも、面接で堂々と自己を主張し、会社への想いを熱く語ることです。

この対応はまさに、監督や上級生には従うが、根性を備えた活発な人間である、企業がもっとも欲しがる体育会系の学生像を演出することになるのです。

もっとも、いまは打たれ弱い体育会系が増えているとの話もあり、理系の学生の場合は、熱量よりも自分の研究との関連性が受け答えで求められるとは思いますが、ともかく就職活動で変にオシャレを意識する必要はなく、黒系のリクルートスーツと白シャツを着ていけばいいと私は思います。

それが素直さとフレッシュさの演出でもあるでしょう。

もしそれが嫌で、どうしても自分の色を服装で出したければ、最終面接で着ていけばいいでしょう。

役員や社長の前で、ストライプのスーツを羽織り、色のついた柄シャツを着て、ノーネクタイでも好きなネクタイでも締めて、グッチでもフェラガモでも派手な靴を履いて、これが俺だとアピールすればいいでしょう。

恐らく重役の判断基準は、採用にある程度の責任を負う人事担当者とは違い、ポテンシャルに力点を置いているはずであり、その格好がハッタリなのか本物なのかを吟味してくれるでしょう。

いやもしかすると逆に、日本の組織で出世できた者とは、失敗を避けてそつなく遊泳してきた可能性が高く、ソニーの元社長・出井伸之さんのように、倉庫番といった閑職に飛ばされたような人はあまりいないと言われ、むしろ最終面接でこそ、当たり障りのないリクルートスーツに拘るべきなのかもしれません。

一般的に、日本の会社が人を評価する基準は、長所ではなく短所に重きを置き、欠点や失敗を強調するきらいのある減点主義を採用していると言われます。

これは一面的な見方かもしれませんが、アメリカ社会と比較すれば、責任の所在をはっきりさせず、まだまだリスクを取る人が少なく、再チャレンジ制度が確立されていないのは事実であり、日本が失敗に寛容な社会ではないのは明らかです。

学生たちはそのような教育を受けているからこそ、多くがダーク系のスーツを着て無難な対応をし、またそのダークスーツを着ている事実こそが、日本はそのような社会であることを学生たちが認識している証でしょう。

ましてや、採用にある程度の責任を負い、長く付き合うことになるだろう人事担当者は、減点主義にならざるを得ません。

この失敗を許容しない減点主義は、日本的な慣行としてプラスに働いてきた集団主義や連帯責任の制度に関係しているのかもしれず、古くは、同じことを繰り返せば問題の生じない農耕社会の流れを汲んでいるのかもしれず、また、日本が外洋という要塞に囲まれ、歴史的にほぼ外圧に晒されてこなかったことと関係しているのかもしれませんが、変えていくべきであり、変化の激しい現代やこれからのAI社会において変えていかざるを得ないものの、就職活動の身なりに関しては、角を立てない無地のダーク系スーツと白シャツでいいのではないかと思います。

まだまだ協調性や和を重んじる日本社会では、現時点での合理的な戦略に思えます。

お洒落は社会人になってからいくらでもできます。

それこそ給料を貰うようになれば、自由にお金を使うこともできますし、仕事で実績を出してからの方が、アイツは格好だけの人間だと言われずに済むでしょう。

もっとも、無地のダーク系スーツをお洒落に着こなしている人も当然いるわけで、リクルートだけで終わらない、今後も着られるスーツを仕立てるのが一番なのかもしれません。

ということで、随分昔に就職活動をしたオジサンの意見ですが、活動中の外見は、リクルートスーツを着ることでフレッシュさ・慎ましさ・素直さをアピールしつつ、内面は情熱や理論を携えていくべきだと思います。


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