2018/06/30

「巧遅は拙速に如かず」の意味を異性への告白から簡単に説明します。





mohamed HassanによるPixabayからの画像 
fujiwaraさんによる写真ACからの写真 





巧遅は拙速に如かず(こうちはせっそくにしかず)


という言葉があります。

その意味は


上手でも遅いのは、下手でも速いものには敵わない。


であり、要するに時期が過ぎてしまえば、物事を上手に完遂しても手遅れであり、とりあえずは下手でも早めに完成させるべきである、ということです。

そして、誰しも何かの想いを実現させるためには、行動へ移す必要があります。

ただし行動を決意したとしても、いつやるの?」となります。


もちろん、今でしょ!」と言いたいところですが、明日以降でいいやと先延ばしにしてしまう人も多いでしょう。

結局はうやむやのまま、行動をやめてしまうことも多いかもしれません。

では、異性へ告白するケースで、「巧遅は拙速に如かず」がどのように作用するのかを、またなぜすぐ行動へ移した方がいいのかを考えてみます。

相手への告白を今日と半年後で比較した場合、二人の関係がより親密となっていれば、確かに半年後のほうが成功率は上がるでしょう。

しかし、今日告白して成功する可能性もあり、たとえ失敗したとしても、半年後に再びチャレンジすることができます。

告白を半年後に延ばすということは、現在相思相愛のケースを逃すだけでなく、好きでもないけれど嫌いでもないから付き合ってみようとなる可能性や、相手が自分のことを意識するようになる可能性も逃してしまいます。

それだけならまだしも、半年先延ばしにすることで誰かに取られたり、相手の気が変わってしまったり、引っ越し等でいなくなる恐れすら出てきます。

さらには、全く脈がなければ、半年経たとしても成功率は変わらず、期待していた時間が無駄になってしまいます。

片思いの状態を楽しむのであれば別ですが、恋の成就を求めるのであれば、行動は早めに移すことが何よりも大切で、そこで得られる最大の収穫は結果が露わになることです。

告白して相手が承諾してくれれば目的は成就したことになり、全く相手にされなければ、諦めて違う異性に向かう手もあります。

もし断られても頑張るのなら、少しでも好感度を上げる作戦を立てていくというように、結果が分かれば次に打つべき手が浮上してきます。

参考になるか分かりませんが、ここで私のつまらない体験談をお話します。

ある時私は、小説を書いて身を立てる決意をしました。

子供もいるいい歳をしたオッサンとなっていましたが、固く決心しました。

そして、そのほだされた情熱を注いで完成させた作品を、大抵の人と同じように、各出版社が開催する新人賞に狙いを定め、某神楽坂にある会社に送りました。

その後も毎日書き続け、技術は少しずつ上達していきました。

今まで小説を書いた経験はなく、0からのスタートであったため、伸び代が大きかったことは確かです。

すると、新人賞に送った作品の粗が見えてくるようになり、それに少しずつ手を加え始めると、修正したもので判断して欲しいと思うようになりました。

しかし、締め切りはとうに過ぎていたため、再び送る作品で審査してもらえるかどうか、編集部に電話をして聞いてみました。

受話口に出た女性は、初めに送られた作品で判断させていただきます、と丁寧な口調でしたが、やんわりと断られてしまいました。

仕方がないと思いつつも、新人賞は年に1回しかなく、今回を逃せば審査はさらに1年以上も先になるため、何日か悩んだ後、最終的に直談判することに決めました。

仕事を終えた夜に、作品を抱えてその出版社に向かいました。

電車を乗り継ぎ、下車してから長い坂道を進み、ようやく建物に到着しました。

もちろん正面玄関は閉まっていたので、裏の通用口から入っていきました。


「どうもこんばんは」


と軽く警備員さんに挨拶し、


「すみません、小説持ってきたんですけど、編集部に通してもらえませんでしょうか?」


と丁寧にお願いしました。

そこで返ってきた言葉は、


「できません」


でした。

この回答は当然であり、出版社は小説の持ち込みを受け付けていません。

ただしそれは原則であり、その場で作品が読まれて話が進んだ作家や、アドバイスを貰った作家なども過去に存在しており、食い下がりました。

しかし、駄目の一点張りで埒が明きません。

普段突撃取材とかしているくせに、自分たちは突撃を拒否するのかよ、と口には出しませんが心で思いながら、再三お願いしました。

それでも結局駄目でした。

仕方がないので、ちょうどそのとき通路を通り掛った社員らしき男性に声を掛けました。

すると、


「ちょっと止めてください!」


と警備員さんに止められてしまいました。

そこから何度か警備員さんと押し問答があり、ついに相手が折れる瞬間がきました。


「分かりました。ではこちらの番号に掛けてください」


と一枚の紙切れを渡されました。

ようやく前進したと思いながら、記された番号にその場で携帯から掛けました。


「プルルルルルル……カチャ」

「もしもし、すみません」

「申し訳ありませんが、ただいまの時間は受付を終了しています。御用のある方は……」

「はぁ? ちょっと警備員さん! 今仕事している人一杯いるでしょ。コントやってんじゃないだからお願いしますよ!」

「いや駄目なものは駄目なんですよ」


と結局押し切られ、ここで観念して建物を後にしました。

いま振り返ってみると、手直しした作品は、初めて書いたものに毛の生えた程度の出来であり、いい歳した大人が、冷静な判断もできずにただ勝手に押し掛け、門前払いされただけと言えるかもしれません。

ある人は、馬鹿な奴だと嘲笑うでしょう。

しかし、そこには確かな情熱だけがありました。

そして、この件で私が失ったものは何一つありません。

逆に得たものは、きれいさっぱりとした感情と、突撃の経験値と、話のネタと、行動の結果です。

また、当然の成り行きとして、なぜ持ち込みを拒否するのかを深く考えました。

単純に他の業務もある中で構っていられず、賞に一本化するのが合理的だからだと思われますが、漫画は持込に対応するケースがそこそこあるため、小説はその場で読み切るだけの時間が取れないのだろうと結論付けました。

また、小説とは編集者と二人三脚で作り上げていくため、売り出すかもわからない素人に割く時間などないのだろうとも考えました。

ともかくこの行動の結果として、どのみち一作だけでは食えないので、書く、とにかく書く、上達するためにも書く、と次の方向性が決まりました。

もし、行くか行かないかでウジウジ悩んでいたら、悶々として筆は進まなかったことでしょう。

このように行動することの利点は、結果が判明して次の選択肢が浮かび上がってくることです。

また、想いを素早く行動に移し、トライアンドエラーの時間を短縮すれば、必然的に目的達成までの時間も短縮されます。

ここで冒頭の、


巧遅は拙速に如かず(こうちはせっそくにしかず)

上手でも遅ければ、下手であっても速いものには及ばない。


をもう一度考えてみますと、この格言は、物事におけるスピードの大切さを述べており、何度もチャンスがある大半の出来事に当てはまり、また、相手が手を打つ前にとりあえず下手でも手を打つことの大切さを示しています。

ただし、ビッグディール(big deal)や一度しかないような貴重な機会は、拙速よりも巧遅を重んじるべきです。

真言宗の開祖・弘法大師は、遣唐使の一員として中国大陸に渡ったあと、密教の正統な継承者である恵果和尚に会いに行く前に入念な情報収集を行い、インドからの学僧や中国の仏教者の下で学習を重ね、外堀を埋めています。

どうしても口説き落としたい相手には、最初に挽回できないほどの悪印象を持たれてしまえば元も子もないので、重要な場面では遅くても上手に事を進めていくべきですが、多くの事柄は先手必勝が当てはまるでしょう。

どの段階が許容できる拙かや、また拙と巧、の分岐点も容易には判断付かないと思いますが、想いを素早く行動に移すことは、目的を達成するために留意すべきことでしょう。


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