2017/09/28

戦争をテーマにした純文学短編小説 「最後の授業」





表紙 いおりんさんによる写真ACからの写真を改変




この道を行けば、どうなるものか

危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし

踏み出せば、その一足が道となり

その一足が道となる

迷わず行けよ

読めばわかるさ



内容はタイトルそのまんまです。

Brandーnew 純文学短編小説。


ありがとー!!!



5限目の始業チャイムが、教室に響き始めていた。

やがて全員が席に着いたものの、ざわめきは収まる気配を見せていない。後ろの方の席では、何かを投げ合ってふざけている生徒も見受けられる。

しばらくして教室の扉が開き、国語教師の田中が入ってきた。

それでもまだ、数名の者が会話を交わしている。

田中が教壇に上がって前を向くと、学級委員長の宮前が号令を掛けた。


「起立、礼、着席」

細面の田中が、生徒に向けて口を開いた。


「私が担当する皆さんの授業は、残すところ今日が最後です」

「イエーイ!」

間髪を容れず、後ろの席に座るひょうきん者の西村が声を上げる。それにつられ、周りの数人が同調して声を上げた。

今日が最後の授業になる訳は、このクラスの生徒たちが、明後日に卒業式を迎え、学び親しんだ高校から巣立つためである。

「今日が、皆さんにとって最後の国語の授業になるだけでなく、私自身にとっても最後の授業になります」

今年度で退職を迎える田中にとっても、今日が最後の授業であった。

「教壇に立つこと三十五年、大過なく勤めてこれたのも皆さんのおかげです。今まで、わたしのつまらない授業に付き合ってくださり、ありがとうございます」

卒業式を間近に控えているだけあって、教室は落ち着きがない。

窓際に座る加藤は、前方に向けていた視線を校庭へと移した。

卒業後の進路は区々である。この高校は、学力偏差値が平均のため、全員が大学へと進学するわけではない。ある者は就職し、ある者は専門学校に進学し、ある者は浪人し、海外留学へと進む者もいる。ともかく、今までの横並びの人生に、終止符が打たれるのである。おぎゃーと産まれてから、ほぼ画一的に歩んできた人生は、ここから枝分かれして進んでいく。

「わたしの授業を聞いて、国語が嫌いになってしまった学生がいたかもしれないと思うと、申し訳ない気持ちで一杯になります」

独白のような田中の話に、耳を傾けている者はあまりいない。

「しかし、授業のはじめに行っていた15分間の読書だけは、続けてこれたことに誇りを持っています」

田中が行う授業では、始めの15分を読書の時間に当てていた。各自好きな本を持ち寄り、黙って15分間活字を読む時間を与えていた。

本の種類に一切の制約はなく、大っぴらではないが、ポルノ小説を読んでいる生徒もいた。それは、今では数少ない男子校だからできることであった。

だが、ただでさえ少ない国語の授業に、15分もの時間を読書に費やすことには反発があった。有名大学への進学率を少しでも上げたい学校としては、その読書時間を受験対策に当てるべきだと考えていた。実際過去に、教務主任や副校長が、読書の時間を中止にするよう指示したことがあった。そのとき、田中は反対を押し切った。一見して冴えないこの教師に、どこにそんな意志があるのかと不思議に思えるくらいの抵抗を示したのである。田中は、受験対策には読書が一番であることを理路整然と述べ、さらに、読書から得られるものはそれ以上で、人生を実り豊かにするためには、読書の習慣をつけることが大切である、と頑なに拒否をしたのであった。

「今日は、皆さんの持っている本は机に閉まってください」

田中はそう言うと、封筒からプリントの束を取り出した。

「最後の授業は、私が読むものを配ります」

田中は壇上から降りると、一人一人にプリントを配り始めた。

「皆さんは、これから何にでもなれて、今のこの青春が、永遠に続くと思っているかもしれません。なぜなら、そう思えることは若さの特権だからです」

歩きながら語る田中に、いつもと違う様子を感じたのは何人かいたが、大半は気もそぞろである。

壇上に戻った田中は、白いチョークを手にし、黒板に文字を書きつけた。

「ある人は言うかも知れません。人生は素晴らしい、人生は孤独だ、人生は意味がない、人生は戦う価値がある、人生は暇つぶしだ、人生は束の間の夢だ、人生は苦しみの連続だ」

黒板には、(人生)という文字が記された。

熱血教師さながらの授業が始まるのか? ひょうきん者の西村は、今後の展開を期待して前方に注視した。

校庭を見つめる加藤の目には、体育の授業でサッカーをする生徒たちが映っている。

田中は、一番前に座る木下から順番に、配ったプリントを一行ずつ声に出して読むよう指示をした。そう言われた木下は、椅子を引いて立ち上がり、プリントを手にして読み上げた。


勝敗は われらの知った 事でなし


木下の言葉が終わると、田中は説明を始めた。

「大東亜戦争の末期、日本は戦況が悪化すると、神風特別攻撃隊と呼ばれる、飛行機で敵艦に体当たりする捨て身の攻撃を実施しました」

クラスの中にその存在を知っている者はいたが、日本が世界を敵に回して戦ったことすら、認識が曖昧の者もいた。

「二十歳前後の若者が主で、皆さんより年齢が下の人も出撃しています」

生徒たちは、田中が何かを意図していることは分かったが、過去の遺物である話に現実感はなく、大半が真剣には聞いていない。

田中は話を続けた。

「思い浮かべてください。長く延びた滑走路があり、その横にいくつもの戦闘機が並んでいます。脇には軍人たちが集う兵舎が建ち、中には食堂や教場、寝室があり、近くにはグラウンドもあります。皆さんと変わらない若者たちが、来るべき戦闘に備え、活動をしています」

田中は、木下の後ろに座る太田へ次を促した。


必勝論 必敗論と 手を握り


「皆さんが読んでいるのは、特別攻撃、略して特攻に出撃した4人の若者が最期に残していった、本物の5・7・5の川柳です」

西村は靖国神社の遊就館に行ったことがあり、特攻のことをよく知っていた。しかし、特攻したパイロットたちのことを、心を破壊された人間だと思っていた。笑顔で集う隊員の写真を見たことはあったが、曇りのない遺書を読むと、狂信者としか思えなかった。


田中は次の生徒へと促した。


ジャズ恋し 早く平和が 来ればよい


女とは 良いものだぞと 友誘い


俺の顔 青い色かと 友が聞き



遺書らしくない言葉が登場し、少し教室がざわついた。

「彼らの心の内は、何ら皆さんと変わることがなく、等身大の若者だったと思います」

西村は、ここに残された言葉に、自分と同じ、血の通った人間の姿があることを知った。


特攻の まずい辞世を 記者はほめ


特攻へ 新聞記者の 美辞麗句


特攻隊 神よ神よと おだてられ



生還の見込みがゼロの特攻は、空だけでなく海や陸でも行われた。それは、軍上層部の意向だけでなく、メディアもこぞって煽り立て、国民も受け入れていたからである。

「彼ら4人の仲間の出撃する日が決まります」




真夜中に 遺書を書いてる 友の背



明日征くと 決まった友の 寝顔見る


神様と 思えばをかし この寝顔


人形を 抱いて寝てゐる 奴もあり




「そんな仲間たちが、出撃の当日を迎えます」



夕食は 貴様にやると 友は征き


貸し借りは 貸し借りなりと 固い奴


犬に芸 教へおほせて 友は征き


童貞の ままで行つたか 損な奴


春の空 今日も静かに 暮れて行く


友を待つ 空にまばらな 星のかず


従兵は 夜ごと寝床の 数を聞き


次々と 煙のごとく 友は失せ


今日も亦 全機還らず 月が冴え




入れ替わり立ち替わり、次々と飛び立つ仲間を見届ける彼らの内に去来した日本の未来とは、一体どんなものだったのだろうか。

「そして、とうとう彼らに順番が回ってきます」

数日前に、上官から直接言い渡される場合や、黒板に名前が書かれる場合もあったが、ついに彼らの出撃する日が決まる。




生きるのは 良いものと気付く 三日前


後三日 酔うて泣く者 笑う者




大半が志願者だったとはいえ、やむを得ず手を挙げた者や、強制された者もいた。

そして、生への執着を絶ち切れないことは、普通の感情を持つ人間であれば当然だった。




明日の晩 化けて出るぞと 友おどし


雨降って 今日一日を 生き延びる


明日死ぬと 覚悟の上で 飯を喰ひ


明日の空 案じて夜の 窓を閉め




それでも彼らは納得し、家族のため、祖国日本の未来のために、出撃して行った。



昼めしは 揃って花の 下で喰ひ


今日はまず これまでなりと 碁石置き


隊長の 訓示も今日は 耳に入り


各々の ふるさと向かいて 別れ告げ


万歳が この世の声の 出しおさめ


手を握る 友の力の 強い事


いざさらば 小さな借りを 思ひ出し


損ばかり させた悪友 今ぞ征く


乗ってから ポケットの金 思い出し


エンヂンが 唸れば機上に 花が散り


散る桜 よくぞ男に 生れける


父母恋し 彼女恋しと 雲に告げ


黙想の 中を静かに 特攻機


死ぬ間際 同じ願いを 一つ持ち」 
  



最後を読んだ西村は、途中で言葉を詰まらせた。

加藤は目をしばたたき、窓の外に顔を背けた。

雲が流れている。

「鹿児島の基地から飛び立った彼らは、南の海に巡回する敵艦目掛け、突入していきました」

校庭では、生徒の蹴ったボールがグラウンドを飛び出し、校舎前の通路へ転がっていった。

「これから皆さんが歩む人生には、時として、暗闇で道が見えないことや、行く先に道がないことや、道に茨が生えていることがあるかもしれません。人知れず深い悩みを抱え、人生を降りてしまう決断が頭を過るかもしれません」 

ボールが止まった通路の脇は、桜並木が植えられて、校門まで続いている。

「その時は、今日の授業を思い出してください。生きたくても生きられなかった若者が大勢居たことを、思い出してください」

木下が、雫へと変わりそうな涙を指で押さえ、横を向いた。

「皆さんが悩むということは、人間の証です。悲しみも、憂いも、苦悩も、すべて愛してあげてください」

二分咲きの桜並木には、開花前のつぼみが幾つも枝に成り、春風に揺れている。

「そして、どんなときでも本を手元に置いていてください。皆さんの心が本の中の言葉で揺り動かされたとき、その言葉はきっと皆さんの道標となるはずです。どんなに時間がなくても、本を手にとってください。それが、国語教師としての私からのお願いです。これで授業を終わります」

「起立」

宮前が号令を掛け、全員が立ち上がると、大きな拍手が巻き起こった。

田中が退室したあとも、しばらく鳴り止まずに続いていた。



「田中先生!」

廊下を歩いていた田中が振り向くと、遠くに西村がいた。

西村は右手を高く掲げ、親指を突き出した。

田中はそれに応え、微笑を返し、軽く頷いた。

何名かの生徒が廊下を行き交う中、二人は数秒ほど見つめ合ったあと、田中は前を向き、廊下を歩いていった。





終わり


なお、以下のリンク先にあるnoteで、本小説のあとがきを100円にて購読できます。






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